こともなし

曇。
架空のコンピュータ・ゲームが中心になっている、不思議な夢を見た。甥っ子たちが出てきたり、会ったことももちろんない中沢新一さんが出てきたり。ゲームは、異様にリアルな、戦闘機のフライト・シミュレーションに関するものだった。今ではゲームは殆どやらないのだが(やり始めてもすぐ面倒になって止めてしまう)、時々ゲームの夢を見るのはなぜだろう。学生の頃まではよくやったのですがね。
音楽を聴く。■バッハ:ゴルトベルク変奏曲より〜アリア、半音階的幻想曲とフーガ、イタリア協奏曲、カプリッチョBWV992(ルドルフ・ゼルキン)。ホロヴィッツが、もし自分がホロヴィッツでなければ誰になりたいか、と問われて、ゼルキンの名を挙げたそうだが、ゼルキンとはそういうピアニストである。その音楽性で、様々な音楽家たちからリスペクトされてきた音楽家だ。そういう人のバッハだから、悪いはずがない。特にイタリア協奏曲は模範的かつ、チャーミングで、申し分なし。「ゴルトベルク」のアリアもまたいいので、全曲を聴きたい飢餓感に襲われる。BWV992は初めて聴く曲だが、どうしてこんないい曲が演奏されないのだろう。

Bach J.S. Chromatic Fantasy Bwv 903a Italian Cto

Bach J.S. Chromatic Fantasy Bwv 903a Italian Cto

■バッハ:ブランデンブルク協奏曲第五番(ゼルキン、カザルス)。引き続きゼルキンのバッハ・アルバムを聴く。何だか昨日読んだ小林秀雄のせいで、自分の中の或る種の感受性が、とても敏感になっているようだ。この演奏はまるで室内楽をやっているかのようなバランスで、ピアノのパートが完全に聞こえる。これが素晴らしい。そして第一楽章の、ピアノの長大なソロの演奏と云ったら! 素っ気ないような演奏ではあるのだが、その滋味の深さには何とも言えない気持ちになった。感動と云うのも愚かである。また、指揮がカザルスなんだよね。小林秀雄ゼルキンとカザルスのコレスポンダンスで、こういう体験は滅多にない。オケはヘタなのだで残念だけれども、まあ本質には関係がないくらい。

山本義隆氏の新刊を読む。既に驚くべき書物の予感。それにしても山本氏、あんまり頭がいいので驚かされますな。プトレマイオス理論を現代的に再構成したのを読んだが、プトレマイオスも頭がよすぎる。これが2000年前に考えられた理論か。これだけわかりやすく書かれているのに、複雑すぎるだろう。天動説がなかなか論破されなかった筈だ。
 レギオモンタヌスがまたすごい。まだ出てきていないが、ケプラーはもっとすごいようだ。世界史ってのは…。

前に求めた三次元極座標ラプラシアン参照)だが、久しぶりにアクセス解析を見てみたら、思ったより需要があるらしい。こうやって力ずくで解いたものは、ネットでも意外にないのだな。よかったことです。