高橋源一郎『さよなら クリストファー・ロビン』/老松克博『人格系と発達系』

日曜日。晴。
音楽を聴く。■モーツァルト交響曲第一番K.16、第四番K.19、第五番K.22、ヘ長調K.76(ベーム)。これは素晴らしい演奏だ。モーツァルトは初期交響曲からして既にモーツァルトであり、完璧。心地よさと完成度の高さにうっとりする。ベームは大らかでありながら引き締まっていて、さすがの演奏だ。

Mozart: Symphonies

Mozart: Symphonies

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲op.61(ムター、カラヤン)。ムターのヴァイオリンは、癖がなくて本当にきれい。技術もまったく問題ないというか、技術のことなど意識もしないような完璧さだ。ただ、この録音のときのムターはまだとても若いし、カラヤンの指導があったのか、安全運転すぎて歯痒くなってくる。丁寧にきれいに弾きすぎて、聴いている方はずっと我慢しなくてはならない。カラヤンの方は申し分なくドラマティック。ムターの方は終楽章になって、ようやくカタルシスが得られるような感じだ。と云え、全体のレヴェルはとても高い。
VIOLIN CONCERTO

VIOLIN CONCERTO


図書館。
図書館から借りてきた、高橋源一郎『さよなら クリストファー・ロビン』読了。悲哀に満ちた連作短篇集。極度にネガティブだ。世界は崩壊しつつあって、誰にも止められない。もちろんそれをくい止めるべく必死に世界を造り直しつづけるのだが、もう皆疲れてしまう。もう止めよう、世界の崩壊は止められなかった…。
 本書は東日本大震災を跨いで書かれたようだが、それでも基本的な路線は変っていないようだ。ここで崩壊している世界は、むしろ現代の高度資本主義社会の行き着く果てであるように見える。救いはないのか。本書のラストをどう解釈すべきか曖昧だが、どうもポジティブには終らないようだ。そして、希望はないが、若い人たちは必然的に出てくる。新しい世代はそれが与えられた世界だから、別にそれが普通なわけだ。だから彼ら彼女ら(子供たち)は、決して暗くはない。我々に為す術はないのだが。
 さて、本書を離れて考えると、本当に希望はないのか。いや、皆わかっているとおり、希望を持つことは皆やめないだろう。著者もそれはわかっていて、しかし透徹した眼を以て見れば、その希望が叶えられる可能性はほとんどない、というのが事実なのだろう。ただ、我々はどんどん白痴化していって、特に悲しみもなく消滅していくだけなのかも知れない。
 それでも、希望はやはり捨てられまい。そうではあるまいか。そこで冒頭に戻る。堂々めぐりである。負のスパイラル。それは、正のスパイラルに変更できないのか。
さよならクリストファー・ロビン

さよならクリストファー・ロビン

老松克博『人格系と発達系』読了。ユング派分析家による、極めて胡散臭い本。もっとも、自分はこういうものを否定しない。ここから汲み取ることのできる人だけが、本書を読むべきだと思う。大本(教)などがメインで出てきたりして、自分には面白かった。秀才は読まないほうがいいです。
人格系と発達系 〈対話〉の深層心理学 (講談社選書メチエ)

人格系と発達系 〈対話〉の深層心理学 (講談社選書メチエ)