ハイネ『流刑の神々・精霊物語』

晴。
音楽を聴く。■ラヴェルクープランの墓(ブーレーズ参照)。■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第十三番、第十四番、第三十番(ピリス)。いつも感ずることだが、ピリスと自分の感覚は微妙にズレている。それがいい風に出れば新鮮な演奏になるし、よくない風に出れば、残念な演奏になる。このアルバムは後者だった。演奏のレヴェルはもちろん高いのだが、まったく心が動かない、特に作品一〇九は、ベートーヴェンソナタの中で自分が最も大切にしている曲だが、ずっと情けない思いで聴いていた。これはもう、相性が悪いのだと思う。客観的に聴けば、多くの人が感動する演奏なのだろう。残念なことである。
 それから、個人的には、アルバムの「月光」ソナタから作品一〇九への繋がりは、じつに違和感があった。こういうところも、そのセンスがわからない。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第13番、第14番、第30番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第13番、第14番、第30番

マーラー:リュッケルト歌曲集(クリスタ・ルードヴィヒ、カラヤン1974)。この曲、今まではフィッシャー=ディースカウバレンボイムがピアノを付けた演奏で聴いてきて、確かにそちらの方がいい演奏なのだが、しかし、これはまた何という美しさなのか。日本のオーケストラがこんな音を出す日は、永遠に来ないであろう。これこそ西欧の最高級品質。

ハインリヒ・ハイネ『流刑の神々・精霊物語』読了。異教的・民衆的想像力の世界。想像力ほど人間のもつ能力でつまらぬものはないという一見かしこい考え方があるけれども、自分はナイーヴだと思われようが、そうした「正しい意見」に賛成しようとは思わない。想像力を馬鹿にするものは、己の思いも寄らないつまらない想像に囚われていることが多い。想像力の働きを無にすることはできないのである。想像力はコントロールできるものではないから、知性はそれを恐れるのだろう。豊かな想像力を涵養する(それは農夫のように、注意深さが不可欠だ)のは、我々にとってじつは必須なのである。もちろんこれは、簡単どころか、現代では非常に困難になっていることだ。だから、安っぽい想像ばかりが蔓延っているわけである。
流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)

流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)



Adiemus - Beyond the Century
NHKスペシャルの「世紀を越えて」を思い出すなあ…。あれ、すごい番組だった。「映像の世紀」も忘れられない。自分の中で、この二つのシリーズは対になっている。