休日。晴。
カルコス。
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図書館から借りてきた、ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』読了。大久保和郎訳。本書は曖昧に書かれているのではないが、自分の力不足で文章を辿っていくことに難渋した。非常に強靭な文体で、著者の頭の強さを感じつつの読書だった。さて、本書の副題は「悪の陳腐さについての報告」であり、対象はナチのユダヤ人虐殺に関わったアイヒマンの、エルサレムにおける裁判である。本書でアーレントが、アイヒマンは自分の出世のことばかりを考えていた、陳腐な官僚であり、立ち向かうべき「巨大な悪」でもなんでもなかったと結論づけていることは有名であり、読んでみてそれはその通りの内容であった。その点に関し、意外なことはまったくなかったので、自分が驚いたのはそこではない。アーレントは、実際にナチの迫害によりドイツを逃れたユダヤ人であるが、本書によって(ショーレムを含む)ユダヤ人の友人の殆どを失っている。読んでみてわかったが、それはアイヒマンを「陳腐な悪」であると結論づけたせいではない。本書で驚かされたのは、ナチのユダヤ人に対する「最終的解決」に際し、多くのユダヤ人がそれに協力しており、ユダヤ人を狩る「ユダヤ人警察」まで存在したことを、アーレントははっきりと書いていることだ。実際、多くのユダヤ系ドイツ人は抵抗らしい抵抗をせず、それがもう少しでもあれば、現実は変っていた可能性がある。しかし、アーレントは、どのような気持ちでこれを書いたのか。確かにそれらは真実だったが、真実は往々にして人を怒らせる。アーレントははっきりとナチに対して抵抗的・戦闘的であったがゆえに不思議だが、彼女の気持ちの複雑さは他人の安易な理解を拒むかのようだ。いったいどうして彼女は、本書を書いたのだろう。
訳者あとがきで、彼女の師だったヤスパースの言葉に、彼女は(職業的)文筆家ではないとあるが、確かにそうだ。彼女は本を書き終えると、いつもこれは自分の最後の本だというのだが、しばらくするとまた本が書かれる。何か、已むに已まれない衝動があるのだろう。もちろん、能力は非常に高いのだが、それはひとつの要因に過ぎない。結局自分の考えの落ち着くところは、彼女はやはり西欧の知識人であり、その独特の形態なのだということだ。殆どが生産物の輸入者である(これは馬鹿にするわけではない。日本は知的にはある意味いまだに後進国なのだから)、日本のいわゆる「知識人」とは、だいぶちがった存在である。その生態が、個人的にはどうも気になって仕方がない。
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音楽を聴く。■M・ハイドン:フルート協奏曲ニ長調、ハイドン:スケルッツァンド第一番、第二番(エマニュエル・パユ、ハンスイェルク・シェレンベルガー)。ヨーゼフの方はいい。
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