曇。
音楽を聴く。■モーツァルト:教会ソナタ第五番K.145、第六番K.212、第七番K.224(参照)。天上的。■ブラームス:ドイツ・レクイエムop.45(チェリビダッケ)。■シェーンベルク:浄められた夜、十二の楽器のための三曲、月に憑かれたピエロ(ブーレーズ、参照)。シェーンベルクは本当に素晴らしい。「浄められた夜」は、後期ロマン派の到達点だろう。限りなく美しい。「月に憑かれたピエロ」も、充実した作品。シェーンベルクはドイツ音楽の正統でありつつ、現代音楽の道を切り開いた、モダニズムの典型である。結局、シェーンベルク以後、彼を超えた作曲家は現れなかったとも云えるだろう。クラシック音楽を聴くとして、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンというところから入るのが正統だろうが、シェーンベルクから入るというやり方もあるだろう。これは徹底的に自分のものにすべき音楽だと思う。■シューマン:ノヴェレッテンop.21、四つの行進曲op.76(ル・サージュ、参照)。
#
図書館から借りてきた、小島寛之『使える! 確率的思考』読了。本書は確率論の教科書ではないが、まさしくその教科書を読んでみたくなるような気にさせる本だ。例えば、「偏差値」よりも「標準偏差(SD)」の方が大事だという話。模擬試験の結果から志望校を決めようとしている人、本書を読んだ方がいいかも知れませんよ。また、ベイズ推定の話。アマゾンのお薦めがツボに嵌まっているのに驚く人は多いと思うけれど、これはベイズ推定を使っているにちがいない。これも、基本は簡単なことで、本書でわかりやすく解説されていて、とてもおもしろい。また、機械の故障が、使用した時間の長さに関係がないという話。ちょっと信じられないくらいだが、実際に証明されているそうである。そういえば、初期不良ってあるよね。あれもそういうことか。その他、確率の考え方は多方面にわたるということだ。本書は少し前の本なので載っていないが、最近はやりの「ビッグ・データ」というのも、ベイズ推定のあたりの話だろう。著者の言うとおり、確率は例えば遺伝学にも量子力学にも関係があり、世界の根本に関わっているというのは大袈裟ではない。学問としても、これからもっと流行るだろう。若い人は気に留めておくといいと思う。
しかし、世界はどんどん数値化されていってしまうのだなあ…。統計学は今や必須の学問だし。アナクロな自分には、何となくさみしいような気もする。
- 作者: 小島寛之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/11/01
- メディア: 新書
- 購入: 36人 クリック: 112回
- この商品を含むブログ (86件) を見る
ついにiPS細胞の山中伸弥教授まで謝罪とは。自分の見るところ、山中教授のやったことに特に問題があるとは思えないのだが、怯えた顔で謝罪していた。野依良治にせよ山中伸弥にせよ、これがノーベル賞受賞者が取るべき態度なのだろうか。マスコミ(引いては日本人一般たち)のバッシングがひどすぎるせいだろうが、世も末である。これが日本人の現在であり、日本の学問の実際ということか。自分は子供の頃、素朴にノーベル賞に憧れたこともある平凡人だが、受賞者たちのこんな態度を見て、今の子供たちはノーベル賞をどう思うのだろう。もちろん、ノーベル賞など下らないというのは正論だろうけれど、人々(特に子供たち)が科学に向ける眼差しという意味だ。「リケジョ」も価値が下がったことだろうし。本当にさみしい話である。
しかし、論文の完璧さと科学的価値は、次元のちがう話ではないか? 完璧でない論文がブレイクスルーをもたらすことなど、日常茶飯事であり、その方が普通なくらいである。ワトソンとクリックのDNAの「発見」など、完璧云々どころか、ほとんど詐欺まがいのことをやっているのが堂々と自伝に書いてあるくらいだ。だいたい、皆に問いたいが、自分の卒論のことを考えてみるといい。後から掘り返されて困らない奴がいたら、それは変人(笑)でしょう。ちがいますか?
それに、科学論文でも、論文の価値に関係がなさそうな、グラフや図・表・写真の出来が、じつは注目度に大きく関係してくるのは、研究者なら知らない者はいないだろう。これは、「Nature」などの「一流誌」でもまったくそうである。見栄えがするように図や写真を加工するくらい、表に出ないだけで、極めて多くの研究者がやっている筈だ。ただ、研究成果を「捏造」するというのは、そんなことはしないものなのである。そんなことをして注目されても、どうせバレることので、自分の評判を落とすだけのことだから。とにかく、科学者も人間で、大多数は、悪人でも善人でもないのです。いや、その程度なのが「善人」なのだ。だから、潔癖症の人はかなわない。