多田智満子『鏡のテオーリア』/小沼丹『珈琲挽き』

日曜日。晴。暑くなってきた。
音楽を聴く。■モーツァルト:協奏交響曲K.364(五嶋みどり今井信子エッシェンバッハ)。いい曲。偽作とは思えないのだがなあ。

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 他

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 他

キーシンラフマニノフ・アルバムを聴く。曲はピアノ協奏曲第二番(指揮はゲルギエフ)、エチュード・タブローからop.39-1,39-2,39-4,39-5,39-6,39-9。ピアノ協奏曲の方は、ピアノも指揮も普通。それよりも、エチュード・タブローの方がいい。特に最後の三曲はすごい迫力。感性は普通なのだが、技術が抜群に高い。
KLAVIERKONZERT NR. 2

KLAVIERKONZERT NR. 2


図書館。
図書館から借りてきた、多田智満子『鏡のテオーリア』読了。想像力というか空想力というか、こういうのは如何にして養われるのだろう。現代に最も欠けているのは、かかる能力である。それにしても、鏡というものについて、よくここまで書けるものだ。本書のような豊かな想像の力には憧れずにいない。
鏡のテオーリア (大和選書)

鏡のテオーリア (大和選書)

小沼丹『珈琲挽き』読了。エッセイ集。ずっと読んでいると、小沼の「驚いた」「吃驚した」「呆れた」「閉口した」云々に閉口しないでもないが、まあこれがこの人の味と云えばそうであろう。軽いユーモアで読ませてしまう。この人は自然体で書いているように見せかけて、話のもっていきかたが上手い。決して無技巧ではあるまい。悲しい話でも、哀愁を漂わせるだけで、強い感情は出さない。そのあたりの抑制も、エッセイを読みやすくしている。この人には根強いファンがいて、文芸文庫にはこれで七冊目だ。確かに今の時代に好まれるところがあると思う。読んでいて、一息つけるような気にさせるのが人気の理由ではないか。
 しかし、無粋な話だが、文庫で1700円(税別)はちょっと高くないかね…。自分は、できるだけ文芸文庫は新刊を買わないようにしている。それでも、買ってしまうわけだけれど。
珈琲挽き (講談社文芸文庫)

珈琲挽き (講談社文芸文庫)