アーレント『全体主義の起源1』/レイモンド・カーヴァー『必要になったら電話をかけて』

晴。のち曇。
音楽を聴く。■ブラームス交響曲第三番(チェリビダッケ)。いつ聴いても変な曲。終楽章のアンチ・クライマックスがよくわからない。■デュティユー:時間の影(小澤征爾)。なかなか面白い。小澤征爾はさすがにそれなりのクオリティ。

デュティユー:時間の影

デュティユー:時間の影

■クリストバル・アルフテル:弦楽四重奏曲のための三曲(1955)、弦楽四重奏曲(1978)(アルディッティQ)。アルディッティ四重奏団のディスクなので聴いてみた。この作曲家は初めて聴く(Wikipedia)。バリバリの現代音楽で、自分はかなりの抵抗感を感じた。ノイズ系というところもあるが、鋭角的な不協和音で攻めてくるといった印象である。目の覚めるような現代音楽を聴くのは、久しぶりのような。構成も相当に複雑だ。
String Quartets Vol. 1

String Quartets Vol. 1


図書館から借りてきた、ハナ・アーレント全体主義の起源1』読了。この巻は、ヨーロッパのユダヤ人と反ユダヤ主義について延々と語られる。意外にも、反ユダヤ主義というのはそれほど昔からある現象ではないらしい。王政とユダヤ人は、かなりしっかりと結びついていて、両者の間には利害関係があった。そして、ある権力が交代しても、ユダヤ人の地位には変化がなかった。もっとも、権力と結びついたユダヤ人は多くなく(典型はロートシルト家、これはあるいはロスチャイルド家とも云う)、民衆向けの零細な金貸しであったユダヤ人たちとは、彼らはあまり関係がなかった。反ユダヤ主義は、近代の(敢て言えば民主化の)産物らしいのだ。
全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

レイモンド・カーヴァー『必要になったら電話をかけて』読了。もちろん村上春樹の翻訳。村上春樹の訳したカーヴァーは本当に素晴らしい。村上氏はもう聞き飽きたと思うが、個人的には村上春樹の小説よりも好きだ(村上氏の方が小説家としては上かも知れないが)。もし普通のアメリカ人の病理があるとすれば、そこをカーヴァーは的確に抉っているという気がする。あまり深く考えずに小説を堪能したが、訳者あとがきでの解説は、同じ作家の読みでもあり、また翻訳とは精読でもあるので当然かも知れないけれど、洵に深く詳しく読んでおられて、これは到底真似ができないと思った。こういう読みを読まされると、自分は何を読んでいたのだろうとつい思ってしまうのは、もちろん愚かな比較である。そうそう、書くのを忘れていたが、これはカーヴァーの死後に発見された未発表原稿を活字にしたものである。村上氏も書いているように、これらは充分読み応えがある。訳者は原著者ならこうも推敲しただろうということまで読み込んでいて、欠点の類も指摘しているけれど、自分はそれほど気にしなかった。まあ、ええかげんな読み方ではあるが、自分はそんなものである。
 しかし、カーヴァーを読んでいると、もしかすると結婚できなくなるのではないか。そうしたくないのに、お互いを傷つけあう夫婦の話が多すぎる。ロマンティックな恋愛結婚というのが、恐ろしい気がしてくるのは僕だけだろうか。僕の知り合いに、共に妻を裏切っている男二人の兄弟がいて、つい彼らを思い出してしまった。それは、結婚もして愛人もつくるという、甲斐性を示しているということなのかも知れないけれど、よくやるよと思う。
必要になったら電話をかけて

必要になったら電話をかけて