玄侑宗久『さすらいの仏教語』

曇。
アンスネスシューマン・アルバムを聴く。ピアノ・ソナタ第一番と幻想曲とは、ポリーニのディスクと同じ選曲、演奏順も同じである。意図的なものかなと思った。で、どうであったかだが、じつに立派に弾かれていると思う。気持ちもちゃんと込めていると思うのだけれども、結論から云うと、自分はまったく心が動かなかった。立派に演奏されていることはわかるが、気持ちが動かないのはどうしようもない。もちろんピアニストが悪いと云うつもりはなく、相性が悪いとはこのことだろう。特に幻想曲ハ長調は、思いつくだけでもペライアポリーニアルゲリッチリヒテル、アラウなど、名演がたちまち思い浮かぶのだが、ここまで感動できないというのも奇妙なことだ。どうしてこうなのかわからない。自分でも理不尽な思いで聴いていた。

Piano Sonata 1 / Fantasie in C

Piano Sonata 1 / Fantasie in C

シューマン:暁の歌op.133(ル・サージュ)。たぶんシューマンの完成させた、最後の曲だったと思う。この曲にはポリーニの明晰かつ決定的な録音があるが、このル・サージュのも捨てがたい。ル・サージュというピアニストは、何かいつもあまり期待せずに(?)聴くのだけれど、感心しないことがない。室内楽もやるし、とても好感のもてるピアニストだ。こちらとは、相性がいいのである。不思議なものだ。
Piano & Chamber Music 5 (Dig)

Piano & Chamber Music 5 (Dig)

ハイドン交響曲第九十四番「驚愕」(チェリビダッケ1946,BPO)。録音が悪いせいなのか、チェリビダッケのあの独特な音はそれほど目立たない。しかし、何ともすごい緊張感にあふれた演奏だ。晩年のチェリビダッケは、音はきれいだがちょっとダルな演奏をすることがあったけれども、これはまるでフルトヴェングラーのようである。ベルリン・フィルのせいもあるかも知れない。なお、この録音は1946年だから、チェリビダッケはまだ三十代前半である。後年の演奏と比較してちがいが出るのも、当然のことかも知れない。

玄侑宗久『さすらいの仏教語』読了。日常生活で使われている言葉に、仏教由来のものが多くあるが、そういう言葉を廻るエッセイ集とでも云うか。まあ、玄侑師のことだから、何をお書きになってもいいのである。本当のことを云うと、玄侑師はじつに徳の高いお坊さんなのだが、現代人には(嘆かわしいことに、と云っておく)どこかそうなのか、なかなかわからないだろう。現代の偉い僧侶は、寒いギャグを飛ばしながら、一見どうでもいいことを朗らかに語るものなのだが、わかるかなあ。現代人のこの体たらくは、今後益々強化されることだろう。まあ、なるようにしかならぬの。