尾形希和子『教会の怪物たち』

晴。日毎に光が強くなっているのを感じる。
音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番ホ短調op.59-2(エマーソンSQ)。何か足りないような気もするし、この曲を三十四分でというのは如何にも速いが、これほどクオリティの高い演奏を聴かされては、説得されざるを得ない。ほとんど完璧だと思う。あとはもう少し何かが欲しいような…。無いものねだりか。■ドビュッシー:交響組曲「春」(ブーレーズ)。■ショパン:バラード第一番op.23(フランソワ)。格好いいなあ。多少ムラがあるので、今なら別テイクとなりそうだが、そうしないのが昔風。即興的な感じがじつに天才的だ。技術はあまりないのだが、それでも素晴らしいという(稀な)例である。この曲で八分弱というのは相当に速いが、コセコセした感じはまったくない。■ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第八番op.30-3(カピュソン、アルゲリッチLive2011)。終楽章が目の覚めるような演奏。■ショスタコーヴィチ:喜歌劇「モスクワ・チェリョームシキ」op.105〜三台のピアノのための編曲版。これはおもしろい! ショスタコーヴィチとも思えぬ、楽しい曲。なお、ルガーノ音楽祭(2011)での録音だが、ここではアルゲリッチは入っていない。でも、これもいいのだ。

県営プール。
尾形希和子『教会の怪物たち』読了。ヨーロッパの中世ロマネスク建築には、実在しない怪物たちや天使などの、不思議な図像が見られる。本書の研究テーマはそのようなものに関していて、従来のイコノグラフィーやイコノロジーではなかなか捉えられなかった対象を扱おうとしたものである。怪物たちは、一方では取り澄ました知的世界に対する民衆の揶揄であったり、またその怪物たちが他方では、周縁的な存在であるがゆえに、一種の聖性を持ったりもしたらしい。いわば、人間の創造力の、ある意味ではプリミティブな発露だとも云えるのではないか。本書は理論的な考察と具体的な対象へのアプローチの両面のバランスが取れており、素人目にもかなりいい出来であるように見える。怪物たちの、モノクロの小さい(欲を言えば、もう少し図版が大きいとよかった)写真がたくさん収録されていて、それを眺めるだけでも楽しいのだ。怪物たちは如何にも異教的な感じだが、それがキリスト教の教会に堂々と収まっているのだから、不思議にも奇妙なことである。奥が深いね。しかし、こんなマイナーなテーマを日本人が普通に(?)追求しているのだから、日本の学者も捨てたものではないな。

教会の怪物たち ロマネスクの図像学 (講談社選書メチエ)

教会の怪物たち ロマネスクの図像学 (講談社選書メチエ)


ティーレマンの指揮する、モーツァルトのレクイエムK.626を聴く。凄い迫力の演奏だが、どうも自分はティーレマンと相性がよくないようだ。見事だと思いつつあまり感動できないという印象なのだが、しかし、「怒りの日」だけは超絶的な演奏である。ここだけめちゃめちゃ感動した。じつは、一回聴き終えて、また「怒りの日」まで聴き直したのだが、これ以上はあり得ないくらいデモーニッシュな演奏になっていた。正直、ここを聴くだけのために聴いても構わないくらいである。
 なお、弟子の補筆した部分が見事な演奏になっていることを、付記しておこう。自分はこの曲は、よく途中で聴き止めるのだが、今回はきちんと全部聴いた。
モーツァルト:レクイエム

モーツァルト:レクイエム


今夜の「クローズアップ現代」で、働く若い女性の三分の一が貧困状態(年収114万円以下)にあるというレポートをやっていた。二〇代のシングルマザーでは、八割が貧困状態だという。今は大変な時代なのだということを再確認したわけだが、どうしてこうなったのかと思う。結局、多くの人が、日本をして格差社会から本気で脱却せしめようとしていないということなのだろう。確かに今は、日本でもアメリカと同じく、新自由主義が一般化してきた。収入は能力に応じてということが、望まれるようになっている。貧困者は自業自得ということなのだろう。そして、国家もそれを後押しする。例えば消費税を上げ、法人税を下げるというように。まあ、こんな印象論を書いていても仕方がないのであり、もう少し勉強することが必要だろうが。