東浩紀『セカイからもっと近くに』

晴。のち曇。
音楽を聴く。■バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043(メニューイン、フェラス)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第三番K.216(メニューイン)。高貴なメニューイン。洵に気持ちがいい。

The Great Violin Concertos

The Great Violin Concertos


イオンの写真屋。カルコス。
妹一家来訪。皆で近所の神社へ初詣。
Java の勉強をしようと思い、こんなのを買ってきた。下の本で、ようやく HTML がぼちぼち使えるようになってきた。最近よく参照する。
できる大事典 HTML & CSS

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皆でわいわい食事。

東浩紀『セカイからもっと近くに』読了。東さんの、最初で最後の文芸評論集だという。一見、「セカイ系」とかどうでもいいような気もする。実際、本書で分析される殆どの作品を、自分は経験していない。新井素子法月綸太郎はほぼ読んでいないし、押井守は「ビューティフル・ドリーマー」も「スカイ・クロラ」も観ていないし、小松左京は中学生の頃に(沢山)読んだだけで、何も覚えていない。しかし、それでも本書は自分にはおもしろかったし、大変に重要な論考だと思う。何より「セカイ系」は、父・母や恋人、そういった存在と密接に関係しているのである。暴力的に単純化してしまえば、「セカイ系」は「マザコン」と深い関係にあるのだ! なるほどねえ。というのは冗談のようなものだが、本書で家族の問題が追求されているのは、明らかであろう。
 本書の魅力は、繊細な分析と幾何学的な論理化の幸福な結合にもあるだろう。やはり著者はすごい才能の持ち主で、意図的ではあろうが、このような評論がもう書かれないとなると、これは残念なことである。じつを云うと、自分は著者の仕事としては、震災関係の活動よりも本書のようなものの方がおもしろいのだが、そこらあたりは、著者の知識人としての自覚によるものなので、一読者が云々すべきことではないのだろう。それにしても自分の頭は粗雑で、このような魅力的な書物を的確に紹介できないのは残念だ。しかし、著者のいうとおり、本当に「文学が社会に与える影響はかつてなく小さく、逆に社会が文学に与える影響もかつてなく小さい」(p.4)のだろうか。いや、そうかも知れないし、だからこそ、「作品がその虚構としての完成からどうしようもなくずれていってしまい、いつのまにか現実の痕跡を招き入れてしまう」のを読み取る、本書のような仕事の重要性があるのではないか。自分の見立てでは、本書は明らかに成功していると思う。しかしさて、自分は本書を今日初めて知ったのだが、これはいったいどう読まれているのだろうか。話題になっているのか?
シュトックハウゼンを聴く。ピアノはヘンク。いやあ、しんどいなあ。
Klavierstucke 1-11

Klavierstucke 1-11