重田園江『社会契約論』

曇。
早朝出勤。移動中と時間前に、グルダのピアノにアバド指揮の、モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十五番を聴く。こういうときに安心して聞ける演奏だ。

重田園江『社会契約論』読了。あまりに堂々たる書名で、中身はホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズを、「契約」「約束」の観点から読み解く本だ。あまり他の「解説書」に頼らず、著者自身の力で読み解こうとしているが、これは当り前の態度だけれども、意外にそういう本は少ない。自分の意見のように見えて、じつは骨子は他人のもの、という本が、かかるジャンルでは少なくないような気がする。本書はだから、読んでいて新鮮な感じがする。あまり他著でお目にかからない主張が多いようだ。入門書(新書だからね)としては、こういう態度の本が、じつはいちばんためになる。特に最初のホッブズとヒュームが自分にはおもしろく、一応読んだのにすっかり忘れている古典を、読み返したくなった程である。自分の力では本書を要約することはできないが、例えばホッブズの「原初状態」というのはどういう考えか、腑に落ちたように思う。つまりは、人は自由にさせたら、悪いことでも何でも、やり放題になるということなのだ。ヒュームは一方、人は自由にさせておいたら、仲良く平和にやる、という考えなのである。上流のそこのちがいが、下流の方でまったく大きなちがいになってしまうのだ。
 また、ロールズ功利主義批判。それは簡単に言ってしまえば、「最大多数の最大幸福」を実現するために、一部の人間(つまりは、恵まれない人たち)が我慢する社会は、どこかおかしい(p.241)、そう纏められるのだという。ロールズリベラリズムは、そういう風に発揮されているのだ。
 簡単すぎる、そんな単純なはずはないと、思われるだろうか。さあ、本当のところは自分にもよくわからない。ただ、著者が(当り前だが)自分の言葉で語ろうとしているのは、事実だと思う。そういうところに、好印象をもった。


今日は、早朝から夜遅くまで仕事。疲れたが、普通のサラリーマンなら、こんなのは別にめずらしくもないだろう。まあ、空き時間もあるし、自分の仕事など楽なものなのだろうと思う。皆さん、ご苦労様です。
テレマンオーボエ協奏曲ニ短調を聴く。ホリガーの名人芸で聴くと、バッハばかり贔屓していられなくなる。確かに精神に負担をかけないやさしさだが、疲れているときなど、こういうのも偶にはいいではないか。