綿矢りさ『かわいそうだね?』

晴。のち曇。
音楽を聴く。■シューベルト:ピアノ・ソナタ第十三番D.664(ブレンデル)。さすがはブレンデルという演奏。■シューマン:ミサ曲ハ短調op.147。シューマンの中ではあまりポピュラーな曲だとは云えないが、かなりいい曲ではあるまいか。確かに若い頃の曲のように、魔術的な瞬間が次々に現れる、という風にはいかないけれど、晩年のシューマンは決して創造力が衰えているとは云いにくいと思う。自分は後期シューマンも、結構好きだということを再確認した。シューマンは最終的に自分の音楽の犠牲になって、自殺してしまうわけだが。中沢新一が言ったように、音楽がいちばん狂気に近い芸術だというのは、シューマンの音楽が典型的なのだと思う。もちろん、シューマンを聴くと狂うとか、そういう意味ではないですよ。ロマンティークということ。

Requiem

Requiem

  • アーティスト: Bruno Pola,Robert Schumann,Rafael Frühbeck de Burgos,Bernhard Klee,Wolfgang Sawallisch,Júlia Hamari,Mechthild Georg,Monika Weichhold,Doris Soffel,Düsseldorf Symphony Orchestra,Berlin Philharmonic Orchestra,Helen Donath,Kari Lövaas,Andrea Andonian,Brigitte Lindner,Mitsuko Shirai,Theo Altmeyer,Peter Seiffert,Nicolai Gedda,Düsseldorf Musikverein Chorus
  • 出版社/メーカー: EMI Classics
  • 発売日: 2006/02/24
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る
皮膚科。カルコス。「群像」1月号の、中沢新一の論文を立ち読み。中沢さん、グローバル経済批判の連載は、単行本にしないのだろうか。
庭で猫が対峙。両方ともヨソの猫なのだが。

綿矢りさ『かわいそうだね?』読了。表題作が大傑作で、興奮した。普通の恋愛小説というか、三角関係が崩壊していく普通の小説で、書き方もオーソドックスなのに傑作とは、これは古典的名作ということではないか! 将来は、岩波文庫しかないね。それにしても、二十八歳OLについての恋愛小説が、どうしてこんなにおもしろいのだろう。あーあるあるという、リアル感だろうか。やはりそこかな。つい、主人公に感情移入してしまうのだ。しかし、未婚のおっさんを唸らせるのだから、大したものですぜ。ちょっと若い頃を思い出しましたよ。まあ、突っ込もうと思えば突っ込めるのであって、例えば二十八歳の独身女性といえば、まず結婚がどうしても頭にあるもので(とりあえず「キープしておく」というやつ)、本作の主人公はそれがまったくないのは不自然なのだが、そこは小説なので、実際そこをオミットしたせいで、展開がおもしろくなっている。最後は爽快。さてこれは男性側から見た感想だが、これは是非女性の意見を聞きたい。検索するのが楽しみである。
 それにしても、著者には才能がある。本ブログの過去の記事で、著者は取り敢えず、等身大の小説を書いた方がいいのではないかなどという感想を記したことがあるが、等身大の小説でここまでのものを書いてしまうとはねえ。大江健三郎賞も当然である。(しかし、大江さんはすごいな。若い才能を的確に捉えている。未だに第一線の小説家である証拠だ。)この後が楽しみだ。
 併録された「亜美ちゃんは美人」も、こちらは気楽に読める小説だが、なかなかいい。まあ著者なら、これくらいのものは簡単に書けるのではないか。それくらい才能があると思う。表題作もこれも、エンターテイメントとしても充分薦められるし、それだけには留まらない深さもある。綿矢りさは、正統派の小説家です。
かわいそうだね? (文春文庫)

かわいそうだね? (文春文庫)


音楽を聴く。■リスト:ピアノ・ソナタロ短調ユジャ・ワン)。微分的でもう少し構築的に弾いて欲しいところもあるが、新鮮に聞こえるところも多い。技術は抜群。音もカッチリしていて、魅力的だ。■シューベルト弦楽四重奏曲第十四番D.810「死と乙女」(ハーゲンQ)。有名曲。ハーゲンQは現代的なメリハリのある演奏で、少しだけ軽い感じもあるけれど、好演である。

先日の特定秘密保護法の成立についてだが、ネットをちょっと見てみると、秘密というのは防衛や外交に関するものだから、国民の「知る権利」とか関係ない、ということで、この法律は必要だというのが「正論」らしい。別にそれならそれでいいわけだが、こういう人たちはよほど政府、国家というものを信用しているのだなとは思った。国家というのものは必ず嘘をつくという発想は、彼ら彼女らにとってはナイーブなものらしい。それに、外国にあるから日本にも必要、という論理。これもまあ、別に間違っているわけではないかも知れないが…(世界の「常識」だからこれを日本の「常識」にしようというのを、いつまで日本人はやり続けるつもりなのか。自分もなかなか人のことは云えないけれど)。政治家の云うことには取り敢えず反対しておけ、というのはもちろん杜撰な論法だが、何の真理も含んでいないというわけではないと自分は思っている。それに、最近ますます、天下国家を論じるというのが、嫌なものだとも感じる。思考停止はしないつもりだが、あまりにもエラそうな言葉は時々吐くだけにしておきたいものだ。天下国家を論じるというのは、よほど注意しておかないと、世間知のない自分などは○○な人間にまっしぐらになるだろう。それにしても、世の中には自信家が多いなあ…。自戒自戒。