マウリツィオ・ポリーニの新譜が二枚出た。ようやく入手。一枚は最新録音のベートーヴェンで、もう一枚は七〇年代のライブが、今頃発売された。
まず、最新録音のベートーヴェンのソナタのCDから聴く。曲はすべて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中では、比較的マイナーな部類に入るだろう。射程はとても大きく、そこらあたりは七十歳の老人の演奏とは思えないくらいだが、ポリーニ自身、射程の大きさをコントロールしかねている様子も散見される。聴いていると、澄明な音にもかかわらず、自分の汚い部分を掘り起こしてくるので、愉快な演奏とは云えない。しかし、無下に一刀両断に切り捨てるわけにもいかない。それなりのパースペクティブがあるからだ。けれども、歳をとってポリーニは、何をとんがっているのかと思う。ポリーニ自身にも、ここからどこへ行くのかわからないのではないか。
曲のことはまったく書かなかったが、ソナタ第四番op.7、第九番op.14-1、第十番op.14-2、第十一番op.22である。第十一番は再録音。あともう少しで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音が完成する。思えば後期ソナタに始まって、長いことかかったものだ。
- アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2013/10/09
- メディア: CD
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正直言って自分はこの曲をほとんど聴くことはないのだが、それは、この曲がつまらないからでは勿論ない。逆に、危険すぎてなかなか聴く気になれないのである。この演奏は、冒頭から恐るべき緊張感だ。全盛期のポリーニとフィッシャー=ディースカウの気迫がぶつかり合い、胸が苦しいほどである。ピアノも歌手も凄いのだが、若きポリーニの演奏の幅の広さは、喩えようがない。寂寥感も安堵感も、ピアニッシモからフォルテシモまで、完璧に表現されている。しかし、「自動ピアノ」のような、無味乾燥なものとは対極的だ。ニーチェの言った、ギリシャ的悲劇、ディオニュソス的という表現がぴったりだろう。それとアポロン的な明晰さが一体となっているのだから、何とも、信じがたく天才的である。それに、フィッシャー=ディースカウだ。ポリーニに引きずられて、限界の見えない深さにのめり込んでいく。正直言って、これは何度も聴けるような演奏では、ないのではないか。
この二枚のディスクを聴き比べてみると、ポリーニも遠いところまで来てしまったなと思う。最新録音も悪くないと思ったが、やはり七〇年代のポリーニは、真に天才的だった。
- アーティスト: F. SCHUBERT
- 出版社/メーカー: ORFED
- 発売日: 2013/09/24
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蛇足。ぐぐっていっぱいアンチ・ポリーニの文章を読んだが、皆さんご尤もである。そんなのを読んでいると、アンチの方が当り前だという気にすらなってくる。でも、自分は好きなんだな。特に好きな演奏を聴いていると、陶酔感すら覚えるのだ。まあ、正直言って七〇年代の録音がベストなのだが…
これって、アンチ・カラヤンに似ているかも。自分もアンチ・カラヤンには頭は納得するのだが、演奏によっては心は感動しまくる。正統的なクラシック・ファンなら、これは絶対に避けたい事態だろう。でも、仕方がないのだもんね。カラヤンのベートーヴェンが好きだなんてクラシック・ファンの間で言ったら、軽蔑されること請け合いである。「アシュケナージの音楽性が好き」なんて言っておかねばならないのだろう。アシュケナージって、自分には凡庸極まりなく聴こえるのだが、って、好きな人御免なさいね。