赤坂真理『蝶の皮膚の下』

晴。
県営プール。
白い子猫が居ついてしまったようだ。困ったが、どうも仕方がない感じ。

赤坂真理『蝶の皮膚の下』読了。セックスの描写は過激なのだが、こういうのはいずれ麻痺してしまう。実際、今のAVの方が過激だろう。病理学的記述も、本書の記述が現実的なものかどうかは知らないが、小説的なリアリティがなく、少々退屈だ。でも、著者の長所は、そういう無機的な言葉にあると思う。たぶん著者は、狂った経験はないような気がする。そうしたところでは、本人は狂っていないのに小説は狂っているような、初期の村上龍に遠く及ばない。この小説はいかにも九〇年代的で、著者は(よくは知らないが)現在も生き残っているようだから、この才能の乏しさにもかかわらず、頑張ったのであろうか。って、失礼しました。それから、ヒロインがホテルで働いているのが、さっぱり小説に利いていない。ここらあたりも、もっと詰める余地があろうかと愚考する。こういう小説は、勢いだけではダメで、小説的な技巧がもっともっと必要なのだ。

蝶の皮膚の下 (河出文庫)

蝶の皮膚の下 (河出文庫)


音楽を聴く。■ブラームス:ピアノ協奏曲第二番op.83(ギレリス、ヨッフム)。大変な迫力。これまでこの曲のベストはリヒテル盤だと思っていたが、このギレリスも捨てられない。バリバリ弾いているけれど、決してブラームスの音楽を踏み外してはいない。重量感抜群で、そのあたりが、最近のテクニシャンたちとはちがう。例えばラン・ランもユジャ・ワンも技術は高いが、あれはただ弾いてみましたというだけ、という側面が大きいのは否めない。軽いのだな。ラン・ランもユジャ・ワンも、自分は嫌いじゃないのだけれどね。