トゥキュディデス『歴史(上)』/池内紀『カント先生の散歩』

晴。寝過ぎ。
音楽を聴く。■モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第二番(ムター)。

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集


トゥキュディデス『歴史(上)』読了。岩波文庫版が積ん読なうちに、新訳の方が文庫化されてしまった。
歴史 上 (ちくま学芸文庫)

歴史 上 (ちくま学芸文庫)

図書館から借りてきた、池内紀『カント先生の散歩』読了。池内流のカント伝。哲学者カントのイメージといえば、まさしく「歩める定理」のようなもので、毎日、機械のように決まった時間に散歩するというエピソードばかりが有名なのだが、本書によれば、カントは謹厳な、堅苦しい人物とは正反対の性格だったらしい。明るくて話がうまく、ユーモアがあって生き生きした社交のできる人物だったようだ。また、グリーンという変わり者のイギリス商人と仲がよく、哲学的話題も大いに戦わしたようで、それはかの難解な著書も、グリーンがいなかったらどういうものになっていたかわからないようだし、また、商人から世界の最新情報も入手していた。実際、時間に徹底的に正確だったのは、そのグリーンだったようで、それが感染った模様である。友人たちの人気者としてのカント。これはおもしろい。
 本書はカントの晩年に詳しいが、カントの頭脳は老齢と共に衰えたらしい。いわゆる「ボケ」がきたようだが、カント自身そのことに気づいていたようだ。かの天才の晩年としては残念ではあるが、しかしそれで、カントの生涯は「悲劇」であったろうか。自分はそうは思わない。カントの生涯は充分幸福であったように思われる。人の「死に方」というものは確かに大事だが、文明化された我々は、もはやよい「死に方」というものはなかなか望めなくなっている。そう、カントの一生は、充分よいものだったにちがいない。
 本書には、カントの「三批判書」については、極小にしか触れていない。まさしく池内流で、こういうアプローチもおもしろいと思う。
カント先生の散歩

カント先生の散歩