鶴見俊輔『旅と移動』

曇。
音楽を聴く。■バッハ:ピアノ協奏曲第一番BWV1054、協奏曲BWV974〜第二楽章、ピアノ協奏曲第五番BWV1056(タロー)。今風の、清潔なピアノだな。■バッハ:ピアノ協奏曲第七番BWV1058、四台の鍵盤楽器のための協奏曲BWV1065(タロー)。BWV 1065は初めて聴く。タローによる多重録音。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第十二番K.332(ブレンデル)。
レンタル店。

ルネ・シャールを読む。
鶴見俊輔『旅と移動』読了。河出文庫版「鶴見俊輔コレクション3」。どうして鶴見俊輔を読むのか。だいたい、鶴見俊輔は思想家なのか。彼の文章は、結論がおおよそ予想できる。基本的に「思想」が硬直化しているからだ。文体もダサい。なのに、どうして鶴見俊輔を読むのか。読んで面白いか。そう、面白いとは云える。それに、鶴見はむずかしいことは言わないが、一見そう見えないけれど、頭はすごくいい。彼の言っていることは心に残るか。あまり残らない。どうして読むのかわからないけれど、この「鶴見俊輔コレクション」は、残りも読むと思う。四方田犬彦の文庫解説は、まったく感心しない。


どうして教師が心を病むのか、という問題があるが(参照)、表で語られているのはキレイ事で、ピントを外しているように思われる。実情を知っている人はわかるだろう、それは、昔と比べ子供は変ったし、親も変ったということだ。やはり、親よりも子供の変化の方が大きい。どう変ったかは、ここでは言わないことにしておく。とにかく、先生が心を病むのは、不思議でも何でもない、そういう風に子供が変ったということだ。