イプセン『人形の家』

曇のち雨。
モスバーガーのドライブ・スルーで昼食。

イプセン『人形の家』読了。本作が書かれたのは一八七九年であるが、二十一世紀になっても本書にリアリティがあるのか、むずかしいところであろう。今更イプセンかという声もあろうし、まだイプセンの射程から自由になっていないと云えるのかも知れない。少なくとも自分には、本作はとても刺激的だったが、例えば今の先鋭的な女性ならどう読むか。また、今の極普通の(?)女の子ならどう読むか。気になるところである。「女性の開放」なんていうスローガンは、今ではどう受け止めるべきなのだろうか。それとも、「誰でも自分の人生を自分のために生きることができる」と読むべきか。それなら、話は女性だけに限られない。そして、自由を与えられた人間が、どの中でどう振る舞うかは、なかなか簡単ではない問題であろう。ノーラは最後、自分は今まで「生きていなかった」ことに気づき、夫と子供たちを捨てることになった。さて我々は、最初から、自分の好きな人生を生きろと云われて、果してどう生きるのか?

人形の家 (岩波文庫)

人形の家 (岩波文庫)


音楽を聴く。■アルヴォ・ペルト:ピアノ作品集(ピアノ・ソナチネop.1-1,op.1-2、パルティータ、 アリヌシュカの回復による変奏曲、アリーナのために、アンア・マリアのために、ラメンターテ)(ラルフ・ファン・ラート)。とても二十世紀の作曲家の手に成るとは思えない、シンプルな曲ばかりだ。だからと云って、つまらないとは云えないのだが。確かに「癒し」っぽいところはある。しかし結構気に入ったので、もう少し聴いてみたい。
ペルト:ピアノ作品集

ペルト:ピアノ作品集

モーツァルト:ヴァオリン・ソナタ第三十二番K.376、第二十六番K.302、第三十五番K.379、第二十九番K.305(ムター、オーキス)。

一日が二十四時間なのが、短すぎるような気がする。もっとやりたいことがあるのだが。