大治朋子『アメリカ・メディア・ウォーズ』

晴。
攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 05 を観る。これも DVD がヘンだな。レンタルなのだが、どうなっているのか。

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 05 [DVD]

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レンタル店。

大治朋子『アメリカ・メディア・ウォーズ』読了。副題「ジャーナリズムの現在地」。とてもいい本だ。題がよくない。中身は、インターネットの出現で激変する、アメリカのジャーナリズム(主に新聞)の現状を伝えるものだ。情報の「タダ化」によって、アメリカの新聞は厳しい状況に立ち至っているが、ジャーナリズムは死んでおらず、新しい試みが次々に現れているということ。このジャーナリズムの挑戦の様子を読んでいると、チャレンジ精神旺盛なアメリカ人のメンタリティには、感銘を受けないわけにいかない。これを見ていると、自閉的な自分などは、本当に日本人だなあと、個人的なことまで思わせられる(若い人はちがうのかも知れないが)。アメリカには多様性があり、一旦道を外れても、本人のやる気次第で再挑戦は可能だ。日本は、安定した身分を離れると、アメリカほどには、再チャレンジはむずかしいのかも知れない。また、日本のメディアはまだそれほど弱体化はしていないが、ジリ貧の状況は好転することはないだろう。日本の新聞が仮にどんなにダメでも、それがなくなってしまえばオシマイである。これは、市民とソーシャルメディアだけで代替できるものではない。ジャーナリズムは必ず必要なのだ。
 どうも纏まりのない感想になったが、繰り返すけれど、本書はいい本である。誰が読んでも、きっと得るところがあると思う。
※追記 本書に関係する便利なリンク集がありました(参照)。感謝です。
グールドの弾くバッハ、フランス組曲第一番、第二番、第三番を聴く。このところずっとグールドが聴けなくなっていたのだが、久しぶりに聴いてみて、やはり自分の原点はこの辺にあるのだなと再確認した。ただ、グールドやポリーニを土台とした感性は、自分の第一の認識論的切断に繋がっていたのだが、今は二度目の認識論的切断に入っているのだと思う。そしてそれは、必ずしも望ましい方向ではないのだけれども、いま世界中を見てもグールドのような天才が殆ど存在していないことを考えると、已むを得ないことではある。グールドも、以前と同じような聴き方はできない。ただ、ちがった側面から見ても、やはりおもしろいということだけだ。現代世界の感性は、果たしてどちらの方を向いているのか。
バッハ:フランス組曲(全曲)&フランス風序曲

バッハ:フランス組曲(全曲)&フランス風序曲

バッハ:ヴァオリン・ソナタ第一番(ラレード、グールド)を聴く。

消費増税決定、か。テレビを見ていると、困る困ると言っている人ばかり映しているけれど、皆賛成したのじゃないの? 将来の日本のためだとか言って。こんな愚かな話はないわけだが、もう遅い。少なくとも何とかするとすれば、別の方向から攻めるしかないだろうね。日銀の黒田とか、なんだよあれは。結局わかっていなかったのか。政府も、増税しておいて一方で減税とか、何の意味があるのだ。論理的に云って無意味。貧しい階層に負担増にするという効果しかない。年間七万円以上の負担増は、ウチの家計にはきびしい。ウチだけでなく、他にも家計がきびしくなるところはだいぶあるだろうになあ。で、さらに一〇%に消費増税するのだろう?愚か。
 しかし、消費増税して財政再建をと云っていた人たちよ、本当にそうなるか見ものですよ。僕は絶対にそうならないと思うね。そうした期待は、考えが甘すぎる。前にも書いてきたが、財政再建は、好景気の帰結としての税の自然増収で賄うのがいちばんいいし、それしかない。例えば、アメリカのクリントン政権のように。それ以外では、恐らく不可能。
※追記 「極東ブログ」の記事参照