ジュール・ヴァレス『子ども(下)』

曇。急に涼しくなってきた。
よく寝た。

ももいろクローバーを聴いてみる。
歌は下手だけれど、意外にいい曲あり。「Believe」(玉置成実のカヴァー曲)とか「走れ!」とか。


ジュール・ヴァレス『子ども(下)』読了。面白かった! 本書になると、「ぼく」は成長して、段々親の言うなりではなくなってくる。彼を散々ぶちのめしていた母親も、彼の反抗でおどおどするおばあさんになってしまう(「ばく」は反省し、母親にやさしくするようになる)。母に代って「ぼく」に「強権」を振るおうとする父親も、実力を見せつけようとして、既に逞しくなった「ぼく」にあっさりと退けられてしまう。そんなこんなより、「ぼく」はふと知るようになったジャーナリズムの世界への憧れを強めていく。彼は、初めて生きた「世界」を知ったのだ。そこは退屈なラテン語ギリシア語の死んだ世界ではなく、(自分の得意だったが大嫌いだった「作文」も活かせるということもあっただろう、)生きるに値するところだった。そこで本書はお終いである。
 本書はジュール・ヴァレスの自伝的作品であり、既に十九世紀の古典になっているらしい。ヴァレスは、疲れを知らぬ戦闘的ジャーナリストであり、パリ・コミューンの闘争の中心人物であった。本書には続編があり、全部で三部作らしい。本書は主人公の成長を描く一種のビルドゥングス・ロマンであり、子どもに対する体罰の告発書でもある。子どもに対する体罰は、知識階級の家庭において、当時よく見られた現象であるという。それもまた興味深い話だ。現代日本では、それは貧困と結びついているような印象であるが。本書はいきいきとした記述が読ませる。続編も読んでみたいものだ。
子ども(下) (岩波文庫)

子ども(下) (岩波文庫)


音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第二十三番op.57、第二十五番op.79(ギレリス)。ギレリスを云う人は最近少ないような気がするが、やはり巨匠であり、明晰さと迫力を一体とした、古典的な見事なベートーヴェンを聴かせる。こんなにアポロン的な「熱情」は、そうそう聴けるものではない。また、ギレリスの演奏で第二十五番を聴くと、当時ベートーヴェンはスランプなのだなということがよくわかる。しかし愛らしい曲だし、演奏もそれを充分に表現している。■ベートーヴェン交響曲第五番op.67(カラヤン1962)。古典的なベートーヴェンをさらに聴いてみる。今風に云うと、カラヤンやばいだろ。終楽章など、カッコよすぎるし。或る種の極点だな。
山下達郎『COZY』を聴く。(AM2:14)