雨。
「エスのあるところに自我をあらしめよ」という精神分析的な定言命法があるが、これはまさしくその通りである。そうでなくては、空疎なことを語ることになる。しかしこの時の「エス」は、仮に「無意識」だと翻訳すれば、それは相当に「浅い無意識」である。我々の精神活動のすべての基盤となっている、深い意味での無意識は、そこに自我をあらしめたりするようなものではない。
#
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』読了。日録に書く。
- 作者: 國分功一郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/06/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (28件) を見る
これも機会だから個人的なことも書いておけば、僕は本には、「読むべき本」と「読みたい本」の両方があるといいと思う。「読みたい本」の方は問題ないと思うが、「読むべき本」というのは、必ずしも「教養書」というわけではない。自分はじつは「教養書」もあっていいと思うのだが、今の時代にそれを言っても仕方ないと思うので、「読むべき本」というのは、飽くまでも自分でそう思う本ということである。そして、「読みたい本」と「読むべき本」が一致するというのが、祝福された読書だと思っている。そう、飽くまで「読みたい本」一辺倒というのは、僕はつまらないと思うのだ。
それから、岡崎流には殆ど賛成なのだが、あと付け加えることがあるとすれば、「抽象」の快楽ということを、指摘しておきたい。僕は、日本の読書家はあまりにも文学一辺倒すぎると思う。抽象的な内容の書物、つまり哲学や数学、物理学、分子生物学、経済学、社会学等々、そうした分野の書物。こういうものも、読み慣れてくると強烈な魅力があることを書いておきたい。その魅力は、いわゆるエンターテイメント本などとは比較にならないくらいだと云っても過言ではない。ただ、背伸びはすべきだが、あまりハッタリをかまさない方がいいとは、忠告(そして自戒)しておきます。
- 作者: 岡崎武志
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 新書
- 購入: 5人 クリック: 38回
- この商品を含むブログ (136件) を見る