長谷川修一『聖書考古学』

雨。
大垣。車中ではバッハのピアノ協奏曲(ペライア)。
コンフェデレーションズ・カップのイタリア戦だが、あまりにも惜しかったですねえ。3-4で負けるとは。勝てる試合だった。世界とは細かいところの差かなあ。
図書館。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第十二番(ピリス新盤)。■バッハ:ピアノ協奏曲第一番(リヒテル1954)。■ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第二番(リヒテル1958(推定))。素晴らしい演奏だ。リヒテルのピアノは、とにかく耽美的でロマンティック。曲想に合わせたテンポが絶妙だ。技術的にも完璧。先日聴いたカペル盤とは、申し訳ないが比較にならない。リヒテルのこの曲の演奏はDG盤にもあるが、アプローチは変らないと思う。ヴィスウォツキの指揮も好サポート。

長谷川修一『聖書考古学』読了。「聖書考古学」とは、考古学の成果や他の文献と照らし合わせることにより、聖書を批判的に読むという学問だと云えようか。本書では、旧約聖書が対象になっている。我々にしてみれば当然のことなのかも知れないが、聖書に書いてあることは、それをそのまま事実として受け止めることはできない。本書ではそこまで書かれていないけれども、「出エジプト」すら史実であったどうかはわからないだろう。それはともかく、聖書を批判的に読むと云ってもなかなか容易でないのであって、本書では様々なアプローチで、学問的な批判を行なっている。考古学的な発掘の成果と、文献を付き合わせて慎重に判断していくのは、並大抵のことでないと実感させられる。著者の学問的な手際は、素人の自分にも安心感がある手堅い感じで、それで著者は老練の研究者かと漠然と思って読んでいたのだが、自分よりも若い、中堅どころの学者のようでちょっと驚いた。ユダヤ教だけでなく、汎く歴史に興味のある方には、面白い本だと思う。

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)


先日、極東ブログに対して好意的なことを書き留めたが、それもあって過去ログをちょっと読んでみた。胸が悪くなるような気持ちの悪い文体・内容で驚いた。ブログというのは怖いと思う。