谷川渥『肉体の迷宮』/中沢新一『野生の科学』再読

晴。
県営プールに行ったら、中学生が授業で使っていて入れなかった。無駄足。
音楽を聴く。■バッハ:パルティータ第五番(ペライア)。

谷川渥『肉体の迷宮』読了。西洋美術に関する論考を集めたもので、どちらかと云えば「闇」の領域を扱っているものが多い。エロティシズムから、マゾヒズムバロック、幻想、奇形、デカダンス、生理的嫌悪感など、ジャンルとしては自分の好みで、面白く読んだ部分も多かった。ただ、気になったのは、著者の論理は感覚の裏付けを得ているのだろうかと、疑問に思わせるところが少なくなかったことである。例えば、肉体の腐爛に関するこんな文章。

そして聖性は、既成の形の否定のうえに顕現するがゆえに、質料性との新たな関係を取り結ぶと見ることができそうだ。それがリドヴィナの芳香である。視角(ママ)の醜悪さを嗅覚のすばらしさが保証する。形の崩壊を質料が救うのである。(p.269-271)

こちらがおかしいのかも知れないが、自分にはかかる文章は嘘くさく感じるのである。それが言い過ぎなら、やりすぎだと云おうか。もっとも、惹きつけられる部分も多いのであって、フランシス・ベーコン論などはよかった。また、多数収録されている図版にも魅力的なものが多く、西尾康之なんていう美術家は初めて知ったが、この人は面白そうな感じである。ああ、絵を見に行きたくなってきた。

肉体の迷宮 (ちくま学芸文庫)

肉体の迷宮 (ちくま学芸文庫)

中沢新一『野生の科学』を読み返す。中沢さんはこの本で、新たな文体を試みている。そのためにこれまでの著書よりは読みにくくなっているが、それは積極的に肯定されるべき筋合いのものだと思う。個人的なことを云えば、本書がヒントになって(これまでの著書にも書かれてあったのだが)、自分のどうしようもない精神の貧しさの原因の見当がついてきた。これからに活かしていきたい。本書の付録の吉本隆明批判は、極めて繊細な読解を必要とする。中沢さんの批判(原子核エネルギーの開放は「自然史過程」ではない)に拠ってこそ、吉本さんの理論も首尾一貫するのだと考えられる。
野生の科学

野生の科学