上杉忍『アメリカ黒人の歴史』

雨。
上杉忍『アメリカ黒人の歴史』読了。アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)の歴史は、奴隷状態から差別・解放へのそれであるが、本書は、かかる問題についての基本的な事実を伝えるために書かれている。もとより新書版であるから、話題は絞らざるを得ないが、最近の話題までを含み、かなりいい本なのではないかという印象を持った。それにしても、この問題はむずかしい。日本人が書くことで、当事者による偏向からは免れるかも知れないが、一方で、こういう問題には公平ということはあり得るのか、仮に可能だとして、それでいいのかという疑問もある。しかしその辺りは、著者は深く考えられているようにも思えた。
 それから、実際の歴史についてだが、例えば黒人の抵抗運動に関して、暴力を排除しないのか、それとも飽くまで非暴力でいくのがいいのか、という問題がある。確かに弱者による暴力は、強者によるさらに一層の暴力を誘発しかねないし、実際にそのようなことに頻繁になっているのだが、一方で、「こんなことに耐えるくらいなら、抵抗して死んだほうがまし」ということも、やはりあるわけだ。憎悪に対して憎悪で応えるというのは、愚かかも知れないが、極当り前の発想だからである。これは本当にむずかしい。
 今ではアメリカは黒人大統領を擁するようになったが、それでも黒人に対する差別がなくなっているわけではないことは、本書の指摘するところである。また、差別の廃棄に向けた「アファーマティブ・アクション」などが、逆差別だとの主張もある。このような問題が、論理で解決できるのかは、自分にはまったくわからない。また、かかる問題は、アメリカ一国の黒人問題だけではなく、世界的な弱者の問題に直結していくだろう。もちろん、日本でも類似の問題は様々にあるわけだ。自分などにはどうも、むずかしすぎていけない。皆も、考えてみて欲しいと思う。


音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第一番(ペライアハイティンク)。大好きな曲。この演奏は、この曲の決定盤とは云えないのかも知れないが、誇張がなくて純粋に音楽に浸れる優れもの。ハイティンクの指揮するコンセルトヘボウも、上品で、何と魅力的なオーケストラか。初期ベートーヴェン、格好いいなあ。それにしても、ペライアBOX、今のところ詰まらぬ演奏がまったくない。■バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番(フェラス)。フェラスがどんな楽器を使っていたのか知らないが、まず音の甘い美しさにハッとさせられる。確かにカラヤン好みというのもわかる。しかし、彼本来の音楽作りは、かなり厳しいところもあるのではないか。甘さだけに終らないのだ。この曲はかのシャコンヌを含んでいるが、これはフェラス一世一代の演奏だろう。既にアルコール依存症になってからの演奏だと思われるが、病的なところは感じないし、技術も(半ばであやうく崩れかけるところがあるが、何とか乗り切っている)充分だ。もともとこのシャコンヌの部分を You Tube で聴いて(参照)、即CDを買った(参照)のだが、個人的にはこれ以上の演奏を求めることはむずかしいように感じる。それほどの入魂ぶりだ。ここで空想するのだが、仮にグールドとの共演が(それもバッハで )あったら、などとつい考えてしまう。きっと合うと思うのだが。

MINMI のベスト盤を聴く。あまり感心しない。自分は、こうした「俺は(あたしは)カッコいい」という自意識の陶酔が透けて見える音楽は苦手だ。こちらの修行が足りないのだが、恥ずかしく感じてしまう。まあ、本当にカッコよければまだいいのだが。才能がないとは云わないが、ちっぽけな才能に安住する「アーチスト」が多すぎる。ファンの方には御免なさい。(AM3:02)
MINMI BEST 雨のち虹 2002-2012

MINMI BEST 雨のち虹 2002-2012


昨日偶々ニュース番組を見ていたら、憲法の改正で、安倍首相は国民の自由を制限するつもりらしい。民主党の議員が、今でも破防法のような法律があるではないかというと、首相はオウム真理教の事件を持ち出した。オウム真理教の事件を防げなかったからだというのである。しかしもちろん、オウム真理教の事件が防げなかったのは、憲法の規定する国民の自由が原因なのではない。オウム真理教を持ち出せはいいと考える首相のやり口はフェアでなく、非常に汚い。
 また、自分の依拠する経済学者らに拠れば、アベノミクスの第二の矢、第三の矢は必ずしも必要でなく、むしろ有害だという人もいる。自分にも、無意味な公共事業を廃そうとした民主党の施策は方向性として正しく、そこから後退する必要はないように思える。
 そろそろ安倍首相の本性も見えてきたようだ。あまりコロコロと首相が替わるべきでないという意見も正しいが、そろそろ勘弁してもらいたくなってきた。首相が替らないなら、世論によって政治を誘導することも必要だろう。しかし、国民の中の改憲派の多さはなんだろう。彼らは、日本が上手くいかないのは憲法のせいだとでも思っているのだろうか? 「押し付け憲法」だとか云うが、自分は、外国人の素人が、憲法を理想に任せて作ったのは、ラッキーだったとしか言い様がない面が多いと思うのだが。そうでなかったら、憲法第九条のような不思議な条文は、決して憲法に入らなかっただろう。つくづく思うが、皆そんなに戦争がしたいのですか?
 それから、蛇足だが、皆わかっているのか知らないけれど、憲法は法律の親玉ではありませんよ。憲法は、権力の国民に対する乱用を防ぐため、権力を制限するためにあるものです。法律とは趣旨がまったくちがいます。その源流は、学校でも習った、あのマグナカルタにあります。そこのところは大切なので、間違いなきよう。