教師の質を高めよ? ふざけるな

何かの世論調査で、国民が望む教育の課題として、教師の質を高くすること、というのがあった。
 どういうつもりにせよ、馬鹿馬鹿しい話だと思う。「教師の質」というので何を指しているのか知らないが、常識的に云って、昔と比べれば教師の質は基本的に高くなったに決っている。自分はある理由で実情を比較的知っているのだが、昔はとんでもない教師、今ならマスコミ沙汰になってもおかしくないダメ教師が一杯いた。ちょっとここに書けないくらいの酷さなのである。今は、そんな教師は本当に少なくなった。
 変ったのは、むしろ子供と親である。いま子供たちの教師に採っている態度は、ものを教えてもらうというようなそれではない。自分は何も、先生をわけもなく尊敬せよとか、そんなことが言いたいのではない。もちろん尊敬できればそれに越したことはないが、とにかく教えてもらうという「態度」を採れということである。とにかく、そんな態度では「教える-学ぶ」という関係にならない、そんなのが多すぎるのだ(自分に云わせれば、子供が先生の教え方がどうのなど言うのは、二〇年早い)。これは、親の態度にも関係がある。先生を先生と思わず、子供の前で平気で先生批判をする。けれども、先生だって人間だから、欠点のない先生はいないし、だいたい子供の学力、引いては子供の将来すら、先生がどうとかで変わるものではない(変わるなら、そんな余裕のない社会がマズい)。昔はひどい先生が担任に当っても、親も「ああ、運が悪かった」くらいの感じで、騒いだりしなかった。その程度が常識なのである。逆にいい先生に当たれば、ラッキーなのだ。学校教育如きに完璧を求めるなど、間違っていることを弁えねばならない。最終的に、勉強など、自分でやるものなのだ。


 それにしても、今の先生たちは本当に大変だ。若い先生で、教師を辞めたいと思っている人の数は今や少なくない。何もかも先生のせいにされると云ったら、大袈裟であろうか。それに加えて、部活動の指導など、やらなければならないことが多すぎる。教師が過労死しても、おかしくない時代なのだ。そして、ほとんどの先生は真面目であり、教育に日々求められる要求に、何とか応えたいと思っておられる人も多いのである。いったい我々は、教師に何を求めているのか?