テリー・イーグルトン『シェイクスピア』/重信メイ『「アラブの春」の正体』

雨。昼から晴れる。
歯医者。歯石取りお終い。今回は早く終ったな。あとはひと月後に見せに行くだけ。

テリー・イーグルトン『シェイクスピア』読了。原著刊行は一九八六年であり、特に最初の方と「おわりに」に、当時猖獗を極めたポスト構造主義に由来する空疎な記述が見られる点、ほとんど軽蔑したくなったが、すべて読んでみるとそう単純に決めつけてしまうことも出来ないとわかった。中でも第三章では『ヴェニスの商人』を扱い、常識的に見て正しいことを言っているのはシャイロックだというのは、これは説得力を感じた。確かにここでのシェイクスピアは、今なら反ユダヤ主義と言われても仕方のないような展開を見せている。法についての考察も鋭い。
 でも、結局本書も、「文学的、あまりにも文学的」というものでないとは云えないが。例えば、「フォルスタッフと同じように、彼[サー・トービー・ベルチ]もまた、すこぶるつきの快楽主義者であって、自分自身の肉体にしっかり根をおろし自己充足し言葉をアナーキーに使うことで、社会という象徴秩序(シンボリック・オーダー)[象徴界]を「超える」(ビヨンド)と同時に、自分の肉体を社会によってコントロールされるのを嫌い、ひたすらカーニバル的狂騒にふけることで、社会という象徴秩序の「下に」(ビロウ)とどまりつづけるだろう」(p.89)なんていう一文、いかにも(悪しくも)「文学的」ではありませんか。
 その他、自分が読んでいない戯曲もあって、正確に評することは出来ないが、思ったのは、イギリス他における膨大なシェイクスピア論がある上で、本書は書かれているわけであり、さらに著者は若い頃からシェイクスピアをほとんど専門にしているほどらしいから、このような解読がなされたものであろう。その点、その膨大な論の蓄積を知らない自分が何か云うのは、まあ何ともはやというところではある。ただ、シェイクスピアを読んで面白い、何か評論を読んでみようということで、本書を手に取るなら、もう少し別のやつを読んでからにした方が、いいのではないかとはアドバイスするかも知れない。

シェイクスピア: 言語・欲望・貨幣 (平凡社ライブラリー)

シェイクスピア: 言語・欲望・貨幣 (平凡社ライブラリー)

重信メイ『「アラブの春」の正体』読了。日録に書く。