山田稔『生の傾き』/中西進『日本神話の世界』

曇。
イオンのJTBで旅行の手続き。平日だというのに、大変な混雑だ。

図書館から借りてきた、山田稔『生の傾き』読了。優れた散文であれば、フィクションとノン・フィクションを区別しないという姿勢は、堀江敏幸などが受け継いでいるが、まずやはり何と言っても山田稔である。大げさなところのない、冬の日溜りのような散文は、読んでいて心地よい。そしてこの散文は、意外なほど広い射程を持っている。実際ここに描かれているのは、楽しいこと、幸せなことばかりでない。不愉快な出来事の扱い方こそ、山田稔の真骨頂なのかも知れないと、言いたいほどだ。なんて幼稚なことを云っても仕方ないのだが、我々は、いや自分は文学のリハビリから始めねばならないので、こんなことも云ってみるのである。そう、我々の近くには、文学的な意味で不愉快な人というのも、めっきり見なくなったようである。
 なお、本書はアマゾン及び楽天に登録されていないようだ。出版は、編集工房ノア、一九九〇年。
中西進『日本神話の世界』読了。よみやすく、わかりやすいことは確かだ。しかし、こうした神話の解釈というのは、ただの空想とどこが違うのか、どこまで信憑性があるのかがわかりにくい。結局、偉大な碩学のいうことだからと、信用するしかないのか。それを思うと、レヴィ=ストロース構造主義というのは、神話に正確に切り込む大きな一歩だった*1。中西先生は偉大だが、そこらあたりのことは考えに入れなかったのだと思う。もちろん本書に聞くべきところはたくさんあるので、その辺は誤解なきよう。


しかし中国海軍は、ロック・オンしてくるとはどういうつもりなのか。挑発にしてはひどすぎる。戦争になんかになったら、円安も株高もない。

*1:レヴィ=ストロースの読解については、中沢新一「『神話論理』前夜」(『芸術人類学』2006所収)などを参照のこと。