町田康『きれぎれ』/種村季弘『書国探検記』

晴。
大垣。昼からプール。

町田康『きれぎれ』読了。初期短編二作。最近の作に比べれば、まだ手探りで書いているという感じが強く、手慣れたようなところはない。その辺が、緊張感をもたらしている。(最近のエッセイなどに見られる、芸と化しつつあるマンネリも、自分は結構好きではあるが。)町田康独特の、言葉の用法を脱臼させるような文章も同じで、密度が濃い。それが実験的で、シュールレアリスティックな効果を挙げている。逆に云うと、著者らしい笑いがあんまりないのであるが。偶然であろうが、芥川賞に相応しいといえばそうである。「人生の聖」の方も同様だが、もっとハチャメチャで過激かも知れない。頭蓋骨を透明なケースに替えて、脳味噌を見せつけて喜ぶなんていうのは、なかなかにグロいよね。そのケースの中に甲虫や泥水が入ってきて足掻くとか。展開が譫言というか、狂気というか。

きれぎれ (文春文庫)

きれぎれ (文春文庫)

種村季弘『書国探検記』読了。種村季弘の本は僕が学生の頃にたくさん文庫化されたので、それでだいぶ読んだ。その後も、ぽつりぽつりと文庫化されたものを読んできたもので、本書も迷わず買った。相変らずの博覧強記が楽しいし、久しぶりに種村季弘を読んでみて、強烈な印象も与えられた。馬齢を重ねてきてわかることもある訳である。本書を読むと、自分などは、まだスタート地点からそう遠くまで行っていないことがよくわかる。それにしても、モダンというのは今ではもう終ってしまったのだなということを、再確認させられた読書になった。どれだけ本を読んでも、才能があっても、本書のようなものが書ける時代そのものが消え去ったのだと、思わずにはいられない。
書国探検記 (ちくま学芸文庫)

書国探検記 (ちくま学芸文庫)