菊地成孔『服は何故音楽を必要とするのか?』/野矢茂樹『哲学の謎』/石井寛治『日本の産業革命』

曇。のち雨。篦棒に寒い。
早朝出勤。

菊地成孔『服は何故音楽を必要とするのか?』読了。おお、菊地成孔さんの文庫本だ、と思って当然読んでみたのだが、(鬼才)ミュージシャンによる「ファッション・ショー批評」というか「モード批評」というかなので、殆ど自分にはお手上げである。濃厚・高密度な文章はキックがあるのだが、何せこちらは無知だ。パリコレなんて見たことがないし。第一、自分は絶望的なまでに服に無頓着である。普段着はユニクロですし(ダサっ)。加えて正真正銘の田舎者ときている。
 まあそんなですが、とても刺激的でした。菊地さんは優秀な音楽家だから、ファッション・ショーにおける音楽という観点が異様にシャープで、正直言って音楽の部分も自分などにはよくわからないのだが、とにかくこんな批評は世界に二つとないだろうことは断言できる(ファッション・ショーにおけるウォーキングとリズムの関係をここまで意識した批評など、他にあるはずがない)。また、ちょろっと出てくるが、「人類はなぜ、幼児退行するのか?」(p.312)の問題意識は鋭い。ちなみに、雑誌の連載は未だに続いているそうで、これもロング・ランというのだろうか。文庫続刊希望。しかし、自分の聞く音楽はどうしようもなく偏っているのだなあと、改めて思い知らされた次第。

野矢茂樹『哲学の謎』読了。いわゆる「哲学=中二病」の典型。それだからと云って別に必ずしも悪いわけではないが、自分の思考をほとんど誘発しなかった。その意味で、本書は自分にはよくない本であった。唯一読めたのは、最後の「自由」について考察した部分。これも勝手な話だが、自分も「(意志・行為の)自由」についてはまだ考えが纏っていないので、読めたわけである。他の人なら、もっと本書を有意義に読むのかもしれない。
哲学の謎 (講談社現代新書)

哲学の謎 (講談社現代新書)

石井寛治『日本の産業革命』読了。一般読者を念頭に書かれてはいるが、完全な学術書である。日本の産業革命を、だいたい松方デフレの頃に始まり、日清・日露戦争を経て、一九〇七年恐慌前後にひとまず完了するものとして捉え、細部は近年の研究から組み上げられた歴史書だと云っていいだろう。記述の密度は濃く、明治一〇年あたりからの、明治の経済史としても読めるほどである。自分のような門外漢には、極めて多くが新しい知見であった。また、素人的な発言をするが、本書に見せる著者の歴史家的バックボーンは骨太で、並々ならぬ学者だとの印象が強かった。歴史的な大局観のようなものが、しっかりしているのである。例えば、日露戦争後の日本の歴史の大きな分岐点を、はっきりと指摘しているというような。堅い本で、易しくもないが、読む価値は充分にある。
このところ、自分はじつは、リフレ派の人たちがあまり好きではないのかも知れないと思い始めた。本当は「リフレ派」などと一括りにしてはいけないのかも知れないとも思うが、とにかく、彼らの言うことは経済学的には(自分の理解するところでは)正しい。いや、経済学をバックボーンとする人の多くがそうなのかも知れないが、とにかく経済学的には正しい。しかし、それを、森羅万象に及ぼし出すと危ない。自分の全能感に酔う、そんなところが多くの人たちに見られる。自分もそういうことをしなかっただろうかと思う。じつは、経済学で切ることができるのは、この世界のほんの一部だけなのだが。そんなことは当り前だろうか? いや、それは意外と盲点になっているような気がする。切れ味はいいが狭い世界観が、正統になろうとしている。それは、怖ろしいことではないのだろうか。