ダグラス、イシャウッド『儀礼としての消費』/田中健夫『増補 倭寇と勘合貿易』/若田部昌澄『もうダマされないための経済学講義』

雨。
うどん「恵那」にて昼食。
メアリー・ダグラスとバロン・イシャウッドの共著『儀礼としての消費』読了。浅田彰佐和隆光の共訳。恐らく、纏まったものとしては唯一の、浅田彰の翻訳ではないか。中身は八〇年代を思い出させる(ってニューアカは後から遡ったので、直接はよく知らないけれど)。

儀礼としての消費 財と消費の経済人類学 (講談社学術文庫)

儀礼としての消費 財と消費の経済人類学 (講談社学術文庫)

田中健夫『増補 倭寇勘合貿易』読了。倭寇についての基本的な学術書。原本一九六一年刊。コンパクトで読みやすい。著者の倭寇関連の文庫本は、こちらにも。若田部昌澄『もうダマされないための経済学講義』読了。基本的に本書は、リフレ派の主張と云っていい。題名は多少キャッチーであるが、日本の経済はきちんと経済学で理解できるということを、わかりやすく示した本である。経済学のごく初歩的な入門書にもなっている。本書くらいの内容を知っておくだけでも、経済の見方がだいぶ変ってくると思う。自分くらいのレヴェルには、大いに勉強になった。ただ、経済学の大切さがよくわかる一方で、自分くらいのレヴェルで云うのも何だが、経済学の知見が世界を覆ったとき、自分などには、それがつらい世界になるような気も益々する。でも、経済学の考え方が大切なのは、何度も強調しておく。自分は「幸福」はなかなか数値化できないとどうしても思うが、数値化できる部分があるとすれば、それには経済学の考え方が関わってくるのであろう。本当に市場は万能なのかとも思うが、それ以上に有効な方法も、いまのところはないのだということも、わかっているつもりである。
 なお、本書を読んで、江戸時代の荻原重秀(Wikipedia)という人には、ちょっと興味をもった。新井白石が散々この人を非難しているそうだが、近年再評価されつつあるのだそうである。
もうダマされないための経済学講義 (光文社新書)

もうダマされないための経済学講義 (光文社新書)