県博物館での「飛騨・美濃の信仰と造形」展/ジャン・ジオノ『丘』

日曜日。雨のち曇。のち晴。急に涼しくなった。
昼から、家族で関市の百年公園へ行く。博物館での展覧会が目当て。雨は車に乗っているときはパラパラ降っていたが、着いてみると上って曇になっていた。いろいろ花がきれいなのだが、県に予算がないのか、雑草がぼうぼうに生い茂ってる。ちょっと荒れた感じなので、何とかした方がいいと思う。
2012年夏・秋_75 岐阜県博物館では、いまちょうど「飛騨・美濃の信仰と造形」展が開かれている。岐阜県の仏像その他が展示してあるもので、国宝が三点あった。来振寺の五大尊像、個人蔵の入唐求法巡礼行記の写本、護国之寺の金銅獅子唐草文鉢である。岐阜はおそらく国宝がとても少ない県だと思うが、その中の三点とは。鉢は知っていたが、残りは初耳だった。まあ国宝ばかりがいいわけでもなく、他の仏像その他にも、なかなか見応えのあるものがあった。(やはり重文クラスだが。)結構楽しんで見たわけだが、これが岐阜県の代表クラスだと思うと寥々たるもので、どうしてこうなのかと思う。都からそう遠かったわけでもないのに。都からの距離が中途半端で、そしてたぶん、貧乏な国だったのかもしれない。お隣の滋賀県は、比べるも愚かだが、見きれないほど文化財があるのになあ。
 いや、でも、不満だったわけではないですよ。行ってよかった。ついでに「人間国宝 三人展」も見ていく。これは現代の岐阜の染色家たち。
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ジャン・ジオノ『丘』読了。ジオノはフランスの作家(1895-1970)。さて、田舎での不気味な話というか、小さな村の生活が危機に瀕するわけであるが、死にかけた悪意の老人ジャネは、眼に見えない世界に通ずる、一種の魔法使いであろう。本書はもちろんフィクションだが、かつての村(日本も含む)には、このように恐れられる人物というのが、いなかったであろうか。日常世界に謎があった頃… 悪意の老人はともかく、今でも世界に謎を取り戻すのは、必要なことだと思う。日常生活も、現代人にはなかなか見えていないだけで、じつは謎に満ちている筈なのだが。

丘 (岩波文庫)

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