カント『道徳形而上学の基礎づけ』

降ったりやんだり。
今日から三日間、お盆休み。妹一家と名古屋の伯母来訪。
カント『道徳形而上学の基礎づけ』読了。本書は初めて読む。カントの道徳学としては、最初に発表されたものである。具体的な例がたくさん取り上げられてあって、とても面白い。いろいろ妄想しながら読んでのであるが、特に自殺については妄想が膨らんだ。といっても自殺プロパーではなくて、思ったのは、例えば「自爆テロ」についてである。これは一種の自殺であるとは云えるが、そうであれば、カント的には「道徳的でない」ということになる。それは、普遍性をもたないからだ。しかし、「こうまでして生きるくらいなら死んだほうがマシ」だとか「どうせ虫ケラのように無意味に殺されるなら、相手を道連れにした方がいい」というような思考を、我々は簡単には否定出来ない。もちろん、イスラエルに対するパレスチナ人の「自爆テロ」なら、そのように考えられるのは、我々が日本人であるからかもしれない。イスラエル人にはそうは思われないだろうから。このような場合、理性による普遍的な解決など、あり得るのだろうか?
 また、リバタリアニズムについても考える。最小限度の保留以外は、個人の自由を最大限に認めるという発想。それは、優秀者が多くを取る自由を認めるということである。本来なら、富の再分配という発想には(カント的な意味で)普遍性がある筈だが、現実的には、普遍性がない筈の、富の格差を容認するという方向に、世界中が向かっているのではないか。日本においてもそうであり、税の累進性を緩和し、逆進性の強い消費税の増税が決ったりしている。こうなると、カント的な理念は、現実的に少しずつ蚕食されているということは云えまいか。

道徳形而上学の基礎づけ (光文社古典新訳文庫)

道徳形而上学の基礎づけ (光文社古典新訳文庫)