青柳瑞穂『ささやかな日本発掘』/井田喜明『地震予知と噴火予知』

曇。
青柳瑞穂『ささやかな日本発掘』読了。乾山や光琳を発見する話は面白かったが、全体として感心しなかった。どうも悪しきディレッタントの文章としか思えない。…ではあるのだが、反省することもある。著者はどうやら「繊細で美しい日本」というやつがわかっているようだが、これは著者の文章にあらわれているのだろうか、ということである。そうなら、わかっていないのは、自分の方だということになる。というのも、自分は前から、西洋のものだけでなく、日本のものも好きな積もりだったのだが、それが本当にわかっているのか、最近疑問に感じ始めたからだ。いや、以前はわかっていたのかも知れないが、趣味が変わってきて、わからなくなったのかも。ちょっと小林秀雄を久しぶりに再読し始めているのだが、そんな気がしているのである。例えば、アニメ顔の女の子と、「繊細で美しい日本」の間に、何か関連があるのだろうか、ということだ。関係があったならあったで、何だということになるかも知れないし。

ささやかな日本発掘 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

ささやかな日本発掘 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

井田喜明『地震予知と噴火予知』読了。文庫本であるから、対象はおそらく一般読者なのだろうが、そのための配慮が足りなさすぎる。結局、不親切すぎて一般読者にはきわめて読みづらいだろうし、専門家向けには内容がアバウトすぎる、中途半端な本になっている。例えば、地震予知は可能なのかという疑問に対し、まあ科学というものは断定しにくいものなので、専門家向けの小心翼翼たる保留が多すぎて、「地震予知は中長期的には可能なこともあるが、短期的にはほとんど不可能」という結論が見にくくなっている。東日本大震災についても、五〇頁の図を見ればわかるように、中長期的には予想されていたが、短期的には無理だった。しかし問題なのは、短期的な予知が不可能だったことではなく、津波の大きさを予想できなかったことにある。これが被害を大きくした。
 それから、第三章の「予知の科学」であるが、フラクタルやカオスの中途半端な解説は不要である。一般読者にも専門家にも役に立たない。ましてや、「現状では、フラクラルやカオスの概念が現象のどこにどう適用できるかまだよくわかっていない」(p.220)と書いているのは、語るに落ちるというもので、著者の自己満足だけが透けて見える。
 ただ、本書がまったく無意味かどうかは、読者によるだろう。理系の専門家が専門的に書く本を文庫で読める機会はあまりないので、かかる本のサンプルとして、読む意味があるかも知れない。もちろん、本書から有用な情報が引き出せるなら、それに越したことはないわけである。
地震予知と噴火予知 (ちくま学芸文庫)

地震予知と噴火予知 (ちくま学芸文庫)