岩田規久男『インフレとデフレ』/田中小実昌『ポロポロ』/小林昭七『ユークリッド幾何から現代幾何へ』

日曜日。曇。
岩田規久男『インフレとデフレ』読了。本書の元本は新書であり、重要な加筆(第十章)をされて出版された。ここは自分の拙い感想文を書くよりは、田中秀臣氏のブログ記事(参照)を読んでもらった方がいい。あとは蛇足を少し。方便として書いておくが、まず、よいデフレというのはありえない。そして、リーマン・ショック以降、デフレになっている国は日本だけであるが、それはどうしてなのかを考えるとよいと思う。まあ、端的に云ってしまえば、いつも云っていることだけれども、それは「日本銀行が悪い」のである。そんなことは信じられない、一国の経済を決めるのは企業の業績などだろう、と思われる人もいるだろうし、例えばあのかしこい東浩紀氏なども、そういう意見の持ち主であるようだ。それは、こう考えるといいかも知れない。一国の経済活動を決める、大きな要因のひとつはマネタリー・ベース(だいたい、一国に存在するお金の総量とでも考えておいてよい)であるが、それをコントロールできるのは日銀だけなのである。そこに、日銀の役割の決定的な重要性のひとつがあるわけだ。
 経済活動において、人々の「予想」(あるいは「期待」)が本質的に重要なことは、最近ますますはっきりとしてきている*1。日銀のデフレ脱却に関するやる気のなさは、デフレを助長する最重要因になっている。ここを変えない限り、デフレも超円高も克服することはできないだろう。

インフレとデフレ (講談社学術文庫)

インフレとデフレ (講談社学術文庫)

田中小実昌『ポロポロ』読了。戦争をモチーフにした短篇集だが、本当にそう呼んでいいのだろうか。だいたい語り手はちっとも兵隊らしくないし、戦闘もなく、病気と死の話に終始している。そしてそのうち、物語まで解体していってしまうのだ。「…世のなかは物語で充満している。いや、世のなかは、みんな物語だろう。しかし、物語がいいとかわるいとかはべつにして、それに、なにかの役にたつのは、物語や、それに連なるものだろうけれど、すくなくとも、自分自身に物語をしゃべったって、つまらない。自分自身に物語をするのが、これまた、いけないこととか、まちがっているとか言うのではない。しかし、げんに、つまんないんだから、どうしようもない。自分で物語だとわかっていることを、自分にはなしてきかせても…。」(p.172-3)こんな具合である。これは、素朴そうに見えて、とても知的な頭の働かせ方なのは間違いない。「物語」(「神話」と云ってもいいだろう)を創るというのは、人間の本来的な頭の使い方である。そういう中で、著者も云っているとおり、人は生きていくわけだ。それを拒否するというのは、まさしく「知的」であるとしか言い様がないし、ポストモダンの「物語批判」というのも、これと異なるものではなかった。
ポロポロ (河出文庫)

ポロポロ (河出文庫)

図書館から借りた、小林昭七『ユークリッド幾何から現代幾何へ』にざっと目を通す。非ユークリッド幾何(双曲幾何)の話がおもしろい。本書によれば、ユークリッド公準1〜4を満たしつつ、公準5を満たさない幾何は、必然的に双曲幾何しかあり得ないらしい(p.47)。その意味で、ロバチェフスキーやボヤイの発見は、必然的なのであった。双曲幾何は、ポアンカレやクラインの「モデル(模型)」によって、ユークリッド空間内でいわば「シミュレート」できるわけだが、本書ではそれが実際に構成してみせてある。これを使えば、双曲幾何における三角法を、割と簡単な(見通しのよい)方法でもって示すことができる。
 さらに興味深いのは、これらポアンカレやクラインのモデルを、2次元リーマン幾何の強力な方法を使って、分析してある点だ(第三章)。これは確かに美しい。多様体論をこうして具体的に使うというのは、物理学(一般相対性理論など)以外ではなかなか個人的に見たことがなかったので、面白かった。
 ちなみに第四章のヒルベルトの幾何は、自分には相当レヴェルが高かった。このあたりがもう少し見えてくるといいのだけれど。
 双曲幾何については、岩波講座「現代数学への入門」にあったと思う。本書でわかりにくかったところは、これで補えるといいのだが。
ユークリッド幾何から現代幾何へ (日評数学選書)

ユークリッド幾何から現代幾何へ (日評数学選書)

*1:本書によれば、「物価連動国債」によって「市場の参加者が予想しているインフレ率を客観的なデータによって知ることができるようになった」(p.263)というのは興味深い。