フルトヴェングラー指揮の田園交響曲/『十蘭レトリカ』

晴。今夜は本当に冷える。
プール。イオンとその本屋。
どういうわけか、ベートーヴェン交響曲第六番、いわゆる田園交響曲が聴きたくなる。誰の演奏にしようかと迷った(というほど選択肢は多くないけれど)のだが、フルトヴェングラーにする。フルトヴェングラーは、精神性の高さとか天才とか散々いわれて、何となく聴かなかったので、聴くようになってから日が浅いのであるが、愚かだったと思う。何しろカッコいいのだ。そしてこの曲など、VPOのせいもあるが、モノラル録音でもじつに美しい。陶酔してしまう。そして聴きたかった終楽章は…感動しました。久しぶりにクラシック音楽を聴いた、という感じになれた。フルトヴェングラー、さすがです。

Wilhelm Furtwangler: the Legacy

Wilhelm Furtwangler: the Legacy


久生十蘭『十蘭レトリカ』読了。河出文庫の十蘭短編集も、これで四冊目だ。毎回楽しみで仕様がない。本書所収の短編は、自分にはすべて初めて読むものだった。感嘆また感嘆。とりわけ最後の二編、「花賊魚(ホアツォイユイ)」と「亜墨利加討」には圧倒された。くっきりとしたキャラクターの存在感に、強い印象を受ける。彼らは強烈なのだが、どこか純粋なところがあって、そこがまた感銘を深くする。完璧なスタイリストの巧緻を極めた文章に、何かの画竜点睛を加えているところが、十蘭の短編を永遠のものにしているのだ。(澁澤龍彦は十蘭の小説に、意外に純愛のテーマで書かれたものが多いことを、指摘していたと思う。)解かれることがない謎であろうが、十蘭はどこから、この作品世界を成り立たせるディテールを得てきたのだろうか。とても想像力だけで書いているとは思えないのであるが。こんな作家が、再び日本文学の中に出現するというようなことが、果してあり得るのだろうか。