こともなし

晴。
調子悪い。当分続きそう。菊池+大谷を読む。
元気がないのだが、行きつけの(?)ブログを巡っていると、何かしら元気が出てくる。皆さん、ありがとうございます。

今日届いた、リヒテルの弾くリストを聴く。リヒテル七十三歳の時の演奏だが、まったく枯れていないではないですか! ライブ録音なのだが、難曲・ピアノソナタロ短調は、こんなテンポで弾ききれるのかとハラハラさせられる、リヒテル健在。年齢など感じさせず、凄い演奏だ。また、弱音がじつに美しい。中間部のクライマックスは、感動で胸を突かれたくらいだ。全体の構築感もよく、名演といってよいと思う。
 この曲を聴いて寝ようと思っていたのだが、もっと聞きたくなり、超絶技巧練習曲(抜粋)も聴く。第二番や八番は、ものすごい迫力で聴衆から思わず拍手が出るくらいなのだが、聞きものは第三番、五番、十一番あたりで、リストってこんなにいい曲を書いていたっけと、こちらに思わせるほど、魅力的な演奏になっている。技巧を見せつけるべき部分を深い情感をもって演奏しており、恐らくリスト本人が弾いても、これほど感動的な演奏にはならなかっただろう。最後の第十番も、これはもともと内容豊富な曲なのだが、古典的とも云える演奏になっている。七十三歳のリヒテルを、堪能させられました。

Richter: The Master 10

Richter: The Master 10

しかし、リヒテルの魅力とは何だろう。リヒテルをいいと思わない人がいるのはわかる。それは丁度、誰もがトルストイドストエフスキーを好きになれるわけではないことに、似ているかも知れない。でも、この比喩は充分でないとも思う。例えばグレン・グールドは、リヒテルはリストやパガニーニなどとは対極にある演奏家だと述べ、リヒテルをして「最強のコミュニケーター」だと呼んでいた。つまり、「グールド的な」演奏家だと云うのである。代表的なヴィルトゥオーゾとして知られるリヒテルに対して、そう称しているわけだ。実際、晩年に録音した、バッハのクラヴィア曲やモーツァルトピアノソナタなどは、曲のよさを十全に引き出した、模範的な演奏になっている。
 けれども、強烈なフォルテシモ、巨大なリヒテルというのも、また一面なのである。そこいらが、天才というも愚かなところなのだろう。個人的にはピアノ演奏史上、リヒテル空前絶後の存在だと思っている。