高野山・南紀家族旅行(第一日)

奥の院からの雨の参道

台風12号が近畿に近づいているのに、高野山から南紀の旅行を組んでしまっていた。朝7時、既にどんよりとした空模様の中、バスでJR岐阜駅へ。名古屋から新幹線、車中で雨が降り出す。あー、既に。新大阪から地下鉄御堂筋線でなんばまで、南海なんば駅から南海高野線に乗る。特急の先頭車両だったのだが、この車両、自分たち家族しか乗っておらず、完全に貸切状態だ。こんな天気ではなあ。車両はちょっと古目。
 車窓はだんだんと田舎になっていく。外は暗く、橋本を過ぎて山の中へ入ると、横なぐりの風雨。初日は天気、なんとか持つと思ったのに。列車は完全に雲の中を走っている。
 極楽橋着。ここからケーブルカーで高野山着11:34。標高が1000メートル近くあるので、肌寒いくらい。

 雨は降っている。タクシーでまず、お世話になる宿坊の総持寺へ。荷物だけ預かってもらう。傘をさして、メインストリート(?)へ。落ち着いた、小さな町という印象。雨のせいか、緑は美しい。
 とりあえず昼食だが、食べ物屋は思ったほど無い。まあ軽く食べようと、南海食堂というところへ入って天ぷらそばセットを注文したのだが、接客態度はおそろしくぶっきらぼう。そして何より、出てきたものがゲロまずい。こんなまずい蕎麦と天ぷらは一生に一度しか味わえないと思うので、敢て固有名詞を挙げておいたから、皆たしかめてみるように。
 はっきりいうが、高野山には碌な食べ物屋はないと思った方がいい(内部情報)。そこは念頭においた方がいいと思う。

 雨が強くなってくる。総本山・金剛峯寺へ。まあ大したことはない。バスで奥の院へ。だんだん雨がひどくなってきたので、残念だが、奥の院前のバス停まで行ってしまう。本当はもっと前のところから歩くといいのだが。
 結局、高野山で一番それらしいのは、この奥の院までの道のりだ。武田信玄上杉謙信、豊臣家、織田信長、徳川家その他、有名な武将の墓などがたくさんある。が、もう沛然たる雨がすさまじい。数メートル先がかすみ、カメラも向けられないほど。墓の雰囲気は異様なので、撮りたかったのだが、もう仕方がない。こんな雨の中を歩いたのは初めて。
 奥の院に着く。弘法大師が即身成仏し、今でも生きていると伝えられるお堂の前で手をあわせる。南無遍照金剛。
 後から思うと、高野山はこの奥の院がいちばん見どころだ。もし雨がもう少しでも弱ければ、と思う。

 もうやけくそで霊宝館へ。どうもいいものは、東京の高野山展へ行ってしまっているようだった。ここに及んで、雨が弱くなってくる。根本大塔は新しく造ったばかりで、外も中もピカピカ。まあ、これから1000年後くらいを視野に入れているのだろうな。中では英語でレクチャーしていた。隣には国宝の建物もあるが、これも特に大したことはない。

 ズボンはベタベタ、靴の中はグチャグチャで宿坊に帰る。宿坊といっても、部屋はきちんとした宿と変らない。風呂に入ってから夕食。もちろん肉気のない精進料理なのだが、平凡そうな見かけなのに、はっきりいって旨い。正直言って、有名なホテルの凝った懐石料理でも、これほど旨くないのはいくらでもある。それから、若いお坊さんが給仕をしてくれるのだが、真言密教を修行中のお坊さん、ノリが軽くてじつに楽しい。いいねえ、真言密教。ちょっと『ファンシィダンス』の陽平くんを思い出してしまったくらいですよ。

ファンシィダンス (1) (小学館文庫)

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