玄侑宗久『慈悲をめぐる心象スケッチ』/福岡伸一『できそこないの男たち』

晴。夜雨。
玄侑宗久『慈悲をめぐる心象スケッチ』読了。宮澤賢治も玄侑さんも好きなので、いい読書になった。賢治本をさほどたくさん読んだわけではないが、ここまで仏教(とりわけ法華経)という視点から見た宮澤賢治というのは、あまり他に例がないのではないか。著者が仏教者というのが利いている。宮澤家自体が宗教的な雰囲気を濃くもっていたというのは、知らなかった。父親は浄土真宗に打ち込んでいたし、妹のとし子は、大学でキリスト教に触れる機会があった。賢治も法華経に対する強い信仰の他に、真宗や禅、キリスト教にもある程度シンパシーがあったようである。著者はそこから、「慈悲」という観点で賢治を読んでいる。賢治はあまりにも「慈悲的」(?)でありすぎたくらいのようだ。これでは早く命を磨り減らしてしまったのも無理はない、と思われる。そして、我々にたいへんな贈り物を残していったわけだった。

福岡伸一『できそこないの男たち』再読。どうして「再読」なのかというと、既に読んでいたのを失念していたからである(参照)。途中まで全く気づかなかった。いいかげんに読んでいるなあ。それはそうと、再読でも面白かったです。とりわけ、第九章「Yの旅路」で、縄文人のDNAルーツが興味深かった。アフリカから出た初期の人類の中でも、かなり太い分岐系列のひとつが縄文人なのだという。そして日本人のルーツは、その縄文人弥生人と旧石器人の混淆なのだと。日本人は文化だけでなく、DNAレヴェルでもハイブリッド(雑種)だというわけだ。本書は文学的に過ぎるくらいで、事実を知るには却って読みにくいところもあるが、それも生物学と文学のハイブリッドを作ろうという試みなのだから、貴重だともいえるだろう。前にも書いたが、慣性の法則を著者が理解していないのは、まあ御愛嬌。
できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)


ベートーヴェン交響曲第四番を聴く。ヴァント指揮NDR放送交響楽団の古典的な演奏。(第一楽章など)ティンパニが特徴的で、木管楽器もバランスよく聞える。どういうわけか、ベートーヴェン交響曲の中でも、この曲が好きだ。よく頭の中で鳴っている。
ベートーヴェン:交響曲全集II?第4番・第5番「運命」・第6番「田園」

ベートーヴェン:交響曲全集II?第4番・第5番「運命」・第6番「田園」