恥ずかしげもなくエロゲーを論ずる人たち

それにしても、ブログなどでポルノグラフィックなコンピューター・ゲーム(いわゆるエロゲー)について、大真面目で盛大に「作品論」なんかやっているのを見るにつけ、奇妙な感じを抱かざるを得ない。外国人がいうところの HENTAI ですよね。幼い女の子たちを陵辱するゲーム*1をいい大人がやる、まあ、それは個人の性癖だけれど(しかし、日本人男性のペドフィリアの性質については、それこそ論ずるに値するのではないか)、それを恥ずかしげもなく公開して論じるなんていうのは、どういうものなのでしょうか。こうやって羞恥心もなくエロゲーを語ることについてブレイクスルーになったのは、やはり東浩紀の『動物化するポストモダン』(isbn:4061495755)の存在だろうな。これで性的な抑圧は減っただろうが、果してそれはいいことなのだろうか。性というものについては、やはり多少の抑圧があって、隠微な方がよいと思うのだが。それが、エロティシズムの作動原理なのではないか。

*1:ts500さんのブログで、「すんません。でもエロゲって陵辱ゲーばかりじゃないよ」との反応を頂きました。エロゲーで「泣く」とか、そういうやつのことですかね。自分としては、個人の性癖自体は、犯罪になるとかしなければ、別に構わないと思いますよ。エロゲーについて「公開して語る」というのが奇妙に感じられただけで、これも非難するようなつもりはないです。