岐阜県博物館の「発見!いにしえの岐阜」展を観る

晴。
 
NML で音楽を聴く。■シューマンの幻想曲 ハ長調 op.17 で、ピアノは内田光子NMLCD)。すばらしい。内田光子って、意外と即興的かな。少なくとも、細部まできっちりと設計されているというのとはちがうと思う。敢て感興の趣くところへ行く、という感じ。でも、構築性がないわけでもないしな。いま、自分が微分的に聴いてしまったから、ことさらにそんな風に思うのかも知れないが。もちろん、シューマンだからってのもあるだろう。
 
 
昼から家族で、関市の「百年公園」内にある岐阜県博物館を訪れる。

「百年公園」は、あんまりフォトジェニックじゃないんだよね。

 
「発見!いにしえの岐阜」展を観る。ローカルだからこそおもしろい。


石臼。ちょっと赤色(水銀朱)が付いている。

壺と瓶。弥生時代から古墳時代にかけてのものだったかな。
壺。
ほとんど貸し切り状態で観た。「百年公園」はちょっと岐阜市から遠くて、それで人があまり来ないんだな。岐阜県博物館はいろいろやっているのに、いつもガランとしている。でも、田舎の博物館って、たいていがそうだよね。
 
帰りにスーパーに寄る。
 
 
夜。
(コンテンツの)欲望が閉じていって、満たした欲望がさらに新しい欲望を喚起する悪いスパイラル(=依存)を断ち切るのは、結構コツが要る。これは、否定したり自分を解体するだけでは逃れられない、厄介さをもっている。現代人って、めんどうくさいところに陥っちゃったな。まあ、鬱上等、矢でも鉄砲でももってこい、って人にはいいのだろうけれど。

こともなし

曇。
 
午前中、散歩。世界があまりに美しい。それがカメラに入らないことはわかっているけれど、バカみたいにたくさん平凡写真を撮ってしまう。


















曇っていたので歩いたのだが、途中から照ってきて汗が出てくる。しかし、この夏、何回汗まみれになったというのか。冷房の効いた部屋にばかりいて、夏に汗をかかないとは、あまりよいこととは思えない。「クーラーをつけ、命を守る行動をしましょう」だってさ。
 
昼寝。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。藤本和子さんの『イリノイ遠景近景』の続きを読む。こういう文章のうまさは、天性のものじゃないかと思うな。文章に独特の味わいがあるので、ゆっくりしか読めない。
 
肉屋。マックスバリュ
 
夜。
「魔女の旅々」(2020)第2話まで観る。

ヴァレリー「若きパルク」(中井久夫訳) / 牧野雅彦『ハンナ・アレント』

曇。
 
中井久夫訳「若きパルク」を読む。読んだのはいつ以来か、中身はまったく覚えていなかったな。旧かなづかいでもあり、かなり古風な単語が鏤められているのが印象的である。華麗、官能的で緊張感がありつつも端正、同じ中井さんの訳されたカヴァフィスが口語を取り入れた、どちらかといえばくだけた翻訳なのとは、随分と異なる感じだ。このピンと張られた弓弦のような韻律は、まさに中井さんの圧倒的な膂力を示す。

 
 
先日初めて訪れたマーサ21へ、本屋と読書のため、また行ってみる。駐車場、平日でも結構いっぱいですな。丸善岐阜店は本がたくさんで、うれしい。買うつもりはあまりなかったのだが、たまたま講談社の「現代新書100」の実物があったので、ハンナ・アレントショーペンハウアーのを買ってみた。これは哲学・思想の入門書的新書で、中身を100ページあまりのサクッと読めそうな量にまとめたというもの。分量は減らしたけれど、値段は800円でそんなに安くはないから、レーベルとして成功するか知ら。
 
初めてマーサ21ミスドで読書。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー440円。どこかちょっと落ち着かない店舗だな。
 いま買った牧野雅彦『ハンナ・アレント』を読む。アレントにはいろいろな顔があるけれど、本書ではアレント全体主義研究に絞って紹介している。硬派な記述で、簡単にサクッと読み切るというわけにはいきませんでしたね。いまの日本で全体主義?とも思われるが、ヒトラースターリン全体主義を研究することが、現代世界を理解していく上でかなり役に立つ、というのは納得させられるところがあった。アレントは「大衆」というものを国民国家によってバラバラにされた、いわばアトム化され、何にも関心を失った人間の集合体と捉えているようで、それが「全体主義」を構成するというのである。そういう「大衆」は、わたしもその一員として見做すことができるなあと感じた。「何にも関心を失った」というのは、自分の身の回りのこと以外は、と付け加えた方がよいかも知れない。
 あと、ちょっとしたことだけれど、アレントは「論理による強制」なんてこともいっているらしく、自分の問題意識とも合致しているな、って思った。世界に対する関心(=リアル、といってもいいだろう)を失った「大衆」は、判断のよりどころとして「絶対的な論理」に頼るしかなくなる、というのである。すごくネットっぽい。うん、アレント、さすがによくわかってるな、って感じ(何様笑)。オレ、アレントの『全体主義の起源』、全部は読んでいないみたい。恥ずかし。まあ、読んでもむずかしいだろうけどなあ。
 
牧野雅彦『ハンナ・アレント』読了。むずかしいが、おもしろかった。徹底して考え抜いた人間のエッセンスが、おもしろくないわけがない。でも、異論はいっぱいある、って感じでもあったが。何というか、アレントのいうことは立派すぎて、ついていけないところが多々ある。そもそも(わたしを含め)我々の大部分が、本書すら(?)充分に理解することができないだろう。我々のほとんどはそんなに頭がよくないし、そこそこの、善人でも悪人でもない、だらしないところのたくさんある、平凡な人間である。アレントは、まさにそういう人間を強く糾弾するが、わたしはそれはムリってもんだと思う。誰もが、ハイデガーヤスパースの弟子、ってわけじゃないのだ。そういう中で、我々をどうするかを考えないと、いけないんだと思う。
 

 
夜。
リコリス・リコイル」第13話(最終話)まで観る。いやー、大人気極上エンタメ、残り一気に観てしまった。つかれたー。最後、2期をぷんぷん匂わせてるし。しかし、かわいい女子高生に銃をバンバン撃たせたいという欲望丸出しのクソアニメ、幼稚だなあ。「ガンスリンガー・ガール」とかも、観てみる?

保苅瑞穂『ポール・ヴァレリーの遺言』

曇。
昨晩は中沢さんを読んで寝た。
 
類型としてのモーツァルトとバッハ。モーツァルトはアンテ・フェストゥム的であり、バッハはポスト・フェストゥム的といえるか。
 
スーパー。やはりだいぶ値上がりしているかな。
 
昼から散髪。いつもやってもらっている間うとうとしているのだが、今日はうとうとしながら、ワイドショーで安倍元首相の「国葬」を中継しているのを聞かされた。
 
 
図書館から借りてきた、保苅瑞穂『ポール・ヴァレリーの遺言』読了(といっていいのか)。特に第四章「機械文明のなかの人間」、第五章「時代と戦う二つの知性」がおもしろかった。第四章はヴァレリーの現代批判、第五章はヴァレリーにおけるヴォルテールの話、とでも纏めようか。詳しく書くつもりはないけれど、確かにヴァレリーの予言したとおり、「精神」は現在において滅んだかも知れない。それは不可避のこととヴァレリーはいっているが、まさに予言は成就した。「精神」ゆえに「精神」が滅ぶ、いわば「精神」の自壊ともいえるだろう。実際、著者の唾棄するように、深くて繊細な「芸術」は滅び、野蛮で浅はかなアニメやマンガといった膨大なコンテンツが現代を覆っている。極少数の「愛好家(アマトゥール)」は、地下へ潜った。こういう言い方をしていいのかわからないが、「精神の貴族」は消滅し、粗野な大衆がすべてを濁流に押し流しめたのである。
 って、じゃあ、どうすんの?ってことだ。我々愚かな大衆は、確かにクソだ。「精神」などという、高級なものはもっていないし、繊細にして高度な感受性ももっていない。でも、「精神」は滅ぶべくして滅んだのである。もはや、絶望すら滅びたのだ。我々はどうしてよいか、まったくわからないけれども、我々だってその中で、嫌でも(無意味な生を)生きるしかないのは確かである。残念ながら、ヴァレリーや著者のような人文的教養もなく、我々は佇んでいる。ここ数日、偶然わたしは「人文学の敗北」という語を頭の中で転がしていたが、そういう言葉を使ってもいいのかも知れない。さても、我々の愚かな生に、いったいヴァレリーなどどう「役に立つ」というのか。いや、もうそういう発想が、ダメなのだといわれてしまうでもあろう。
 本書最後の二章は、わたしには甘すぎて五分くらいで速読させてもらった。

 
 
夜、雨。
NML で音楽を聴く。■シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」 op.6 で、ピアノは内田光子NML)。内田光子のこの曲の録音を聴こうとずっと思っていて、ようやく聴けた。満足。
シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲

シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲

  • アーティスト:内田光子
  • ユニバーサル ミュージック
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シューベルトの三つのピアノ曲 D946 で、ピアノは内田光子NML)。いきなり速めのテンポでニュアンスが乏しく、驚いた。さすが内田光子というところはあるので最後まで聴けたが、そうでなければさっさと聴き止めていただろう。まあ、この曲は自分の思い入れが強すぎるのですね。でも、いつもはあまり集中して聴いていない第三曲がおもしろかったり、内田光子らしさはある。 
早寝。

こともなし

晴。秋の空になってきた。
 
ヒヨドリが来てキーキーいい始めたようだ。季語の「小鳥来る」の季節。
 
午前中、酒屋。売り出し期間中。肉屋。
 
okatakeのブログ - はてなブログ
オカタケさん、このところお元気だな。愛読するブログの人が生き生きしていると、何かこっちもうれしくなる。人生は苦痛に満ちているので。
 
老母が午前中に働きすぎてへろへろなので、昼食にパスタを作る。
 
 
昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー429円。
20220926162946
保苅瑞穂『ポール・ヴァレリーの遺言』を読み始める。老仏文学者が、若き日の留学以来40年ぶりにパリで暮らすことになり、その思いを綴った文章、とでもいうか。著者はそのままパリで亡くなったらしく(2021)、本書は死後出版だという。主に、ポール・ヴァレリーについて書かれている、ようだ。わたしには少し甘すぎる散文かも知れない。
 ポール・ヴァレリーといってわたしに思い出されるのは、小林秀雄であり林達夫であり、また先日亡くなった中井久夫さんなどであろうか。いずれも日本において西洋的知性を深く体現した、畏るべき人たちである。わたしはというと、ヴァレリーに心から感応したことはないように思える。たぶん、わたしにヴァレリーをよく理解する感受性、知性がなかったのでもあろう。どれ、中井久夫さんの訳した「若きパルク」でも読み直してみようか、せっかく手元にあるのだからな。いまなら、こんな高踏な本は買わないかも知れないが、過去のわたしは買っていた。

こともなし

日曜日。晴。
 
昼寝。
 
「可愛いだけじゃない式守さん」第12話(最終話)まで観る。特に何も起きないほのぼのラブコメ(?)だった。和泉くんと式守さんは最初からつきあっていて最後まで甘々なので、恋心のゆれみたいなものもあまりない。まあこういうのもいいか。絵はきれい。

ごろごろしながら iPad mini で(昼間から)気楽にダラダラと下らないアニメを観ていると、何か罪悪感があるなあ。
 
 
夜。
「鎌倉殿の13人」を観る。いよいよ時政と義時の親子の闘い。
 
NHK+でNHKスペシャル中流危機”を越えて 「第2回 賃金アップの処方せん」を観る。第1回の感想はこちら。いわゆる「安い日本」、低所得化したいまの日本をどう改善するかということだと思うが、二つの話があった。ひとつは「リスキリング」で、時代遅れになった個々人のスキルをいわば廃棄し、新しいスキルに置き換えていくということ。そして、成長産業に人を移していくこと。しかしぶっちゃけていえば、これからの仕事は大幅に「デジタル化」されねばならないから、デジタル分野のスキルを個々人が新たに身につけ、多くの産業を「デジタル化」せねばならないということに尽きていたと思う。日本でいえば、モノづくりから IT技術へ、遅まきながら転換するということであった。
 もうひとつは、「非正規雇用の賃金UP」で、オランダのほぼ完全に見える「同一労働同一賃金」へのシフトが紹介されていた。オランダでは、パートタイムでも正規雇用化されていて、仕事が同じ限り賃金面でフルタイムとちがいがない。それが成功し、オランダの一人あたりGDP はいまや日本の1.4倍であるという。しかしこれ、本当に日本で現実化できるのだろうか。企業の考え方が「人件費の削減」、つまり、いかにして労働者を(非正規化し)安く働かせるか、という発想から抜け出さないかぎり、夢のまた夢のように思える。
 この番組とは直接関係がないが、最近何となく感じるのは、いまの日本における「中小企業蔑視」は、これでいいのだろうかということである。中小企業は上でいわれているような改革をしようという意識が低く、そういう中小企業は日本の癌だから、できるだけ潰してトータルの生産性を上げた方がよい、とでもいう考え方である。IT化も、古いモノづくりから脱却できない中小企業ではむずかしい、と。
 わたしなんかには何もわからないが。
 
 
リコリス・リコイル」第5話まで観る。

こともなし

曇。早起き。
夢。自転車で帰宅する高校生のわたし。途中、神社の境内でおしっこをする。全然知らない道を自転車でゆくが、ナビゲーション機がなくてやべーぞと思う。道に見覚えがない、困ったなとペダルを漕ぎ続けるうち、わたしを探す女の子たちの声が遠くから聞こえてきて少しホッとする。
 
NML で音楽を聴く。■シューマンの「クライスレリアーナ」 op.16 で、ピアノは多紗於里(NML)。

 
晴れる。スーパー。
 
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。おいしいコーヒー。
『コレクション瀧口修造7』の続きを読む。岡本太郎の絵画の評価にうれしくなる。岡本太郎は評論はすばらしいが、絵はどうしようもないという人が昔からいる。かつては花田清輝がそうだったし、最近では浅田さんが代表的だ。瀧口修造は、そういう意見に対し、斜めから岡本太郎を評価し、たんに彼の絵を貶めない。いや、「斜めから」と書いたが、たぶんそちらの方が岡本太郎に対し直球なのだと思う。岡本太郎は、絵画についても自分の中にあるもの(=既存の歴史)を全部ぶっ壊してしまって、そこから出発しているようにわたしには見える。だから、絵画の「歴史」というものからの先入見をもっている人は、岡本太郎の絵画が例えば幼稚に見えてしまうのだろう。
 
バッハのパルティータ第三番
 
夜。
ブラタモリ下北半島だった。ふのり(布海苔)って初めて聞いたぞ。
 
「可愛いだけじゃない式守さん」第9話まで観る。
「青ブタ」新作アニメ決定ですか。楽しみ。
 
 
富豪なので U-NEXT 登録してみた。とりあえず無料期間が一箇月。主に PC で観るつもりなので、Linux Firefox で観られるか試してみる。このあたりのこと、ググってもよくわからなかった。公式の視聴環境に Linux はないのだが、Firefox には DRMコンテンツを再生できる機能があるので、たぶん大丈夫だと思って試してみたら、ちゃんと HD画質で観られたのでよかった。例えば Amazon PrimeLinux だと HD画質で観られないようである。
 
リコリス・リコイル」第1話を観る。