『ゴールデンタイム』を見る

曇。

NML で音楽を聴く。■リゲティの練習曲集第二巻で、ピアノはキャシー・クリエ(NMLCD)。

雨。
昼寝。

しかし、我々は殺すとか、殺戮するとか、虐殺するとかいうコンテンツが本当に好きだよね。わたしもそういうのが好きらしいが、どういうものだろうな。そもそも、男の子は(女の子もかも知れないが)戦いというものが多かれ少なかれ好きだ。確かに、戦いというのは肯定的な面もある。虐げられたら、抑圧されたら「戦う」(あるいは「闘う」)ということが避けられない場合もある。ではあるけれども、とにかく戦うということが好きだな、我々は。ゲームやスポーツのレヴェルから、戦争まで。いや、するだけでなく、それを見るのが好きなのか。


ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第八番 op.30-3 で、ヴァイオリンはフランク・ペーター・ツィンマーマン、ピアノはマルティン・ヘルムヒェン(NML)。迫力あるベートーヴェン

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第九番 op.47 で、ヴァイオリンはフランク・ペーター・ツィンマーマン、ピアノはマルティン・ヘルムヒェン(NML)。このレヴェルの「クロイツェル・ソナタ」は滅多にない。いい演奏だった。

夜。
『ゴールデンタイム』(2013)最終話まで見る。

とらドラ!』と同じ原作者のラノベのアニメ化ということで、見てみた。主人公はヒロインの香子(こうこ)ちゃんで、美人だがとにかく性格が恥ずかしいというか、ウザい女の子。それが本当に人を好きになって、次第に人間的に成長していく。舞台は恋愛アニメの常道の高校ではなく、大学というのがちょっと変わっていて、それに三角関係+(相手役の男の子の)不安定な記憶喪失でドラマが動いていく。『とらドラ!』もそうだったけれど、女の子が男性から見た理想的なというのではないのが、原作者が女性ということと関係があるのだろう。それに、多くの物語だとカップルができ上がるまでを描くというのが多いと思うが、このアニメはむしろそこから話が始まるのであって、付き合っている中のヒロインの不安や苦しみもたくさん描かれている。
 昔のアニメなので2クールと長いが、1クール目は見ていられないような恥ずかしい(?)シーンが多くて、ほんとにハマったのは2クール目(一気に見た!)に入ってからでしたね。OPもハートマークの飛び交っているものから、2クール目は香子ちゃんがぐっと暗い表情に変わるように、ハッピーエンドはわかっているのにハラハラしました。大学生なので大人っぽい展開も結構あって、香子ちゃんの方から積極的にきわどくアプローチしていくところなんか、青春してるなあという。だいぶ昔風の恋愛ドラマで、おっさんはこういうの、好きですね(キモ!)。

こともなし

曇。

メモ。
タリバンに私たちはどう向き合うか 日本も当事国として参加した「アフガン戦争」の20年 | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
日本もアフガン戦争に参加した当事国であるというのは、忘れてはならない視点だろうな。あと、タリバンが武力でアフガニスタン全土を制圧したというのは厳密には正しくないということ。(崩壊した)ガニ政権がとんでもなく腐敗していたため、各地の土着組織がタリバン支持に回った。アフガニスタンは背景的な権力構造が中央集権的でない。それはタリバンも同じことで、政権を獲っても、強力な中央集権国家を建設するのはたぶん無理なのだろう。

モズの高鳴きを聞いた。

【第137回】人生の最晩年を明るく生きるシニア小説|世の中ラボ|斎藤 美奈子|webちくま
おもしろかった。七〇代と八〇代はこんなにちがう、「70代は楽しい老いの働き盛り」というのはそうかも知れない。問題は八〇代になってからなのかもな。

図書館。肉屋。マックスバリュ


日没前、一時間あまり散歩。

ウチの茶の木。わたしが幼い頃、お茶は自家製だった。クドでお茶の葉を蒸したり、刻んだり、外で干したりしていたのを覚えている。


彼岸花曼珠沙華)が咲き始める。たぶん明日か明後日くらいがいちばんよさそうだが、天気予報は雨。





このところ年々、彼岸花の勢力(?)が伸張しているように思える。新しい気象条件に、合っているのかも知れない。




今日はこの秋最初のアカマンマがうれしかった。

白い彼岸花




日没が早くなってきた。

夜。
進撃の巨人』最終巻まで読む。

最終的に人類の八割を殺戮したエレンがミカサとアルミンを殺さなかった(殺せなかった)結末は、何となく虐殺の容認であるようにも思える。エレンは、自分に関係のない人間たちだったからこそ、人類の大部分を意味なく、憎悪すらなく殺せたわけだった。それも、実質的に自分の手を汚すことなく。顔を知らないからこそ躊躇いなく殺せる、それは遠距離から「敵」に巡航ミサイルを撃ち込むようなやり方と、あまり変わらないような気もする。ユミルか何か知らんが、エレンに無意味に殺された人類の八割のひとりひとりにも、泣いたり笑ったりする平凡な日常があった筈なのに。おもしろいエンタメではあったけれど、正直言って、意味わからん。

たぶん作家には、ドラマトゥルギーを優先するあまり、人類の大部分を殺戮するということ、それがどういうことかという想像力がなかったのだと思う。致命的ではあるまいか。

石本正の生誕100年回顧展

晴。

NML で音楽を聴く。■リゲティの練習曲集第一巻で、ピアノはキャシー・クリエ(NML)。

■バッハの「二声のインヴェンション」で、ピアノはアルド・チッコリーニNML)。

 
スーパー。ガソリンスタンド。

昼からひとりで、一宮市三岸節子記念美術館へ石本正の生誕100年回顧展を見に行く。いい天気で運転するのが楽しかった。
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石本正(1920-2015)は日本画家で、わたしはよくは知らないが、この回顧展を見る限り、女性像に尽きると思う。若い頃から、女性像は魅力的だ。着衣でも匂い立つようなエロティシズムを感じるし、裸婦はさらである。中年の頃(昭和四〇年代)の、祇園の舞妓を描いたシリーズが、代表作なのではないか。個人的には、わたしが若い頃に画集で見て惹かれた、上半身をはだけた舞妓立像二枚があって、感慨深かった。この二枚の舞妓は、自死する少し前の川端康成観音菩薩になぞらえたという、エロティックなものである。というのはおかしな文章かも知れないが。仏様がエロティックだというのはね。
 常設展の三岸節子も見たが、わたしはこの人はそれほどとは思わない。失礼ですが。でも、いずれにせよ、田舎では絵を見る機会などあまりないので、ありがとうございますという気持ちは常にもっている。

息をつく / 種村季弘『詐欺師の勉強 あるいは遊戯精神の綺想』

曇。

種村さんの『詐欺師の勉強』の続き。いったいどんだけかかって読んでんだよ。でも600ページを超えた。あと60ページくらい。
 いまの時代において、希望を失わずにいられるのはむずかしい。空気がどんどん希薄になり、窒息しそうである。論理パズルを解くばかりで、思考がない。感情が幼稚である。言えそうなことは誰か言っているように思われてくる。誰もが何らかの専門家であり、その専門家たるところ以外では素人にすぎない。少数の原理が世界を覆い尽くそうとしている。とか何とかいった上で書くと、種村さんはわたしに正気を回復させてくれるところがある。そんなことを聞いたら、種村さんは驚いてしまわれるだろうが。

はぎおく。しふ。前垂れ。スモ。まるみら、エク・トン。ぬなわら。ニモ。ケセレンサ。ナグワディン。クワ、センサ、凪アカディン。

結局のところ、断片ではダメだ。雁字搦めに体系化された記号の支配から逃れることができない。世界を一望できる場所は、リジッドな体系化に陥らせるとは限らない。万物はすべてゆるやかに関係し合っており、全体として少しづつ変形しながら運動している。論理による固定化は、死である。

啓蒙の罠に注意せよ。それはあなたに特権化された知識を与えるように思われるが、それは罠以外ではないのである。

昼から小雨。
図書館。和菓子餅信。肉屋。

餅信のマロン大福を食う。めっちゃうまい。


図書館から借りてきた、種村季弘『詐欺師の勉強 あるいは遊戯精神の綺想』読了。これまで読んだ種村さんの本でいちばんおもしろかった。雑多な本が好きだ。種村さん、もっと読みたいな、図書館にあったら借りてこよう。

僕は文庫本の人なので、書架を見ると、種村さんの著書・訳書は文庫本で20冊あまりは読んだようだ。でも、その中に雑多な本はほとんどないし、そういや最近は種村さんの文庫本、ちっとも出ないなあ。ダメな時代である。西洋文学関係のエッセイ集くらい、文庫オリジナルでどこか出せばいいのに。ああ、種村さん自身が遺言で禁じたのだっけ。

夜。
『ゴールデンタイム』第12話まで見る。

エピクテトス『人生談義(下)』

曇。

NML で音楽を聴く。■ショーソンのピアノ四重奏曲 op.30 で、ピアノはデイヴィッド・ライヴリー、ベルリン弦楽三重奏団(NML)。

 
夕方までずっとモゾモゾしていた。寝転がったり起きたりする。

シューベルトの「さすらい人幻想曲」で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNMLCD)。これまで繰り返し聴いてきた録音。

エピクテトスを読む。

夜。
エピクテトス『人生談義(下)』読了。

こともなし

日曜日。曇。
未熟な深層意識に入っていくコツを掴んで高校生のラブコメアニメみたいな長い夢(我ながらおもしろい夢だった)を見たのだが、ただのアニメの見すぎってわけでもない。自分の若い頃でまだ未消化だった部分を掘ったのだ。明け方、早く目が覚めてそのまま布団の中でぼーっとしていた。ああ、愚かだったなあと少し恥ずかしい感じもした。

スーパー。

従兄から電話があって伯母の話だった。

昼からごろごろ。


浪漫遊 各務原店に車を置かせてもらって散歩。無意識を涵養する。






陽が沈んでもツクツク法師が鳴いているな。虫の声。

夜。
『ゴールデンタイム』第6話まで見る。

こともなし

曇。

NML で音楽を聴く。■ドビュッシーの「映像」第二集、「喜びの島」で、ピアノはアレクサンダー・シンプ(NML)。初めて聴いたが、レヴェルの高いピアニストだな。硬質で繊細なタッチと技術の高さが印象的。あとは、聴き手をむりやり引っ張っていく魅力があるかどうかだ。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十二番 op.111 で、ピアノはアレクサンダー・シンプ(NML)。見事な音の塊だが…。既に完成されているともいえるピアニズムだけれども、この感動の薄さは納得していない。もっとも、わたしの感受性が摩滅しているだけといわれればそうかも知れない。

昼からごろごろ。

珈琲工房ひぐち北一色店。ここのコーヒーはおいしい。最初の一口と余韻だな。
『ロード・ジム』の続きを読む。わたしにはこの小説はしんどいがおもしろい、何とか最後までたどり着きたいな。読書能力が以前の半分くらいになっちゃったのだが。

夜。
細野晴臣『GOOD SPORT』(1995)を聴く。このアルバムは知らなかった。CD は出ていない。何でだろ、需要がないかなあ、すばらしいのに。

いわゆるアンビエントなのだけれど、ある時期の細野晴臣アンビエントみたいな紋切り型でわかったような気になっている人は滅びて欲しい。しかしまあ、細野さんが自分でアンビエントって言っているからしょうがないか笑。

「シル・ヴ・プレジデント」聴いた。かわいい曲だな。