四法界の比喩

晴。

NML で音楽を聴く。■フランクのピアノ五重奏曲 ヘ短調で、ピアノはアレクサンドル・コリャキン、ブレトン弦楽四重奏団NML)。よい。

Piano Works

Piano Works

 
肉屋。クリーニング屋。スーパー。

昼から、県営プール。30℃を超えて暑い。泳いだあとのスポーツドリンクが沁みる。


自分をなるたけ解体してしまうこと。そこに現れたコンステレーションこそが、自分なのだ。

事法界。心を泳がせて妄想する。自分のもっとも下らないレヴェルで妄想するということ。
事法界における妄想と「才能」。
 
dangi.la.coocan.jp四法界について検索していたところ、偉い人も偉くない人もエーカゲンなことばかり言っていて呆れたのだが、その中でぶち当たったサイト。仏教の素人で仏教は頭で理解しているだけと書いておられるが、本当にそうなのか知ら。まだ一部しか読んでいないけれど、じつに立派な理解である。ってわたしが言うのは烏滸がましくて、わたしの仏教理解はこのサイトに及ばない。仏教用語を正確に使いながら、きちんと自分の言葉で理解されていて、つくづく感服した。仏教学者でも、坊主でも、ここまで本質的に理解している人は稀ですよ。(って、クソがテキトーなこと言うなって叱られそうだ笑。)いや、世の中には立派な人がいるものだなあ。

仏教ってのは結局ある根本的なところを理解しているかどうかで、それを自分の言葉でどう表現するかである。そこのところに、その人の理解のレヴェルが出る。すべては繋がっており、それはもう残酷なくらいはっきりしていて、誤魔化しが利かない。当たり前だが、わたしなんぞはまだまだ、いうに足りない。


四法界(事法界、理法界、理事無碍法界、事事無碍法界)というのは世界を見るフィルターが四通りあるようなもので、必ずしも修行の段階ではないし、どれも誰でもアクセスできるものである。そしてどれも、誰でも自由に扱えるとは限らない。フィルターはそれぞれの人に応じた程度で目詰まりを起こしており、それゆえにそれぞれ制限された程度で世界にアクセスすることになる。というのはもちろん比喩にすぎないのであり、あるいは大日如来から現実世界が射影されてくる四通りの射影関数であるといってみたりもできようが、まあ訳がわからないか、それは。