こともなし

晴。
昨晩は遅くまで、人気アニメ SAO のアインクラッド編(いちばん最初のやつ)を見返していた。これ、あんまりオタクっぽくない(例えばロリ成分が少ない)、「標準的」な感覚なのも好ましい。いつも書いているけれど、エンタメとしてよくできていて、僕のようなおっさんには刺激が強すぎて、現実感覚がおかしくなるくらい。ほんと、いまの子供たち、よくこんなのを見て育ってくるなあ。

スーパー。

昼食に焼きそばを作る。

「オカタケな日々」第52回更新。
中上健次の『十九歳の地図』か。映画は知らないが、原作は一応読んでいる筈。しかし、こんな話だったか、覚えていない。わたしが学生の頃は柄谷行人が神のように扱われていたので、その盟友である中上も、読まなければいけないようにわたしは読んだものだ。その頃は、中上が被差別部落出身の「お坊っちゃん」ということなどはまったくわかっていなかったが、その小説の迫力はよく感じられた。中上はわたしの感覚では「最後の文学者」のひとりであるが、もちろんわたしが古くさいのは自分でわかっている。いろんな人が「それでも、文学は滅びない」といまでもいっているけれど、果たしてそうなんだろうかとわたしなどは思う。まあ、どうでもよいが。

いい天気。
珈琲工房ひぐち北一色店。吉田秀和『音楽のよろこび』を読み始める。外側には何の記載もないが、吉田秀和さんの対談集で、昨年の出版。相手は中島健蔵から堀江敏幸氏までで、1953年から2011年という長期に亙る。中島健蔵との対談など、その頃の日本人が、狭い窓からいかに「必死に」、西洋音楽をよく理解しようと努め、また実際に大雑把なところではとてもよい理解をしていることに打たれる。やはり、先達たちはよくやったなあと、感動せざるを得ないのである。いまでは、日本人は日本人なりに西洋音楽を成熟して演奏したり、聴いたりしているのは明らかで、蒔かれた種はしっかりと花を開かせたのだ。日本人も西洋音楽を個性的に捉える時代になっており、それゆえにもはや吉田秀和さんのような大批評家が出ることはない。わたしのようなクラシック音楽の一ファンも、頑張ってはみても、結局は偏った音楽の聴き方をしているという他ない。また、開き直るようだが、それしかないのだと思う。評論家も同じで、いま吉田秀和さんを真似しても、ニセモノができ上がるだけではないか。

音楽のよろこび

音楽のよろこび

  • 作者:吉田秀和
  • 発売日: 2020/10/24
  • メディア: 単行本
 

NML で音楽を聴く。■シューマンのピアノ協奏曲 op.54 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。この曲が聴きたくなって NML で探してみたところ、ポリーニカラヤンという組み合わせを見つけてエッと思った。ポリーニはこの曲をアバドと録音していたし、そもそもカラヤンポリーニの共演というのをわたしは知らない。NML の表記のまちがいかと思って半信半疑で聴き始めたのだが、明らかにアバドとの正規録音ではない(この演奏は聴きすぎたくらいでよく知っている)。なるほど、聴いてみるとカラヤンっぽく、ベルリン・フィルとの関係が悪化してウィーン・フィルをよく振るようになった、晩年80年代の演奏かなと思った。ポリーニのスタイルも、筋肉質な70年代のものではなく、硬質で美しい80年代のそれのようだ。ライブ録音で、その時代にしては音質がいいとはいえない(しかし、聴くには充分)。
 第一楽章はポリーニカラヤンはもちろん技術的には問題ないが、スタイルとしてちょっと合っていないかなという感じ。老いたりとはいえカラヤンの響きは豊麗で、ポリーニのピアノは硬質。お互いに落とし所を探っているようだ。ウィーン・フィル木管がじつに美しく、もうそれだけで驚いてしまう。聴かせどころのカデンツァでのポリーニは、軽々と迫力を出してしまって、こちらはすばらしいとか、何といったらよいのか。
 第二楽章はこの曲では通俗的な音楽だと思うのだが、こういうところのカラヤンは凄い。いつもそれほど気を入れて聴かない場所に、つくづく感じ入る。ポリーニも見事な伴奏(?)になっていて、こういうのが超一流のヨーロッパというものだ。アタッカで終楽章になだれ込むと、俄然ポリーニにエンジンがかかる。カラヤンもそれに応えて、さすがだ。アップテンポで、あんまり美しいので、泣けてくるくらい。弱々しいところは微塵もなく、しかもドラマティックだ。終曲して皆んな拍手、拍手。
 いろいろ音楽を聴いてくると、偶然にこういうものにぶつかったりするから、おもしろい。

Pollini Edition (Bonus CD)

Pollini Edition (Bonus CD)

ネットを探してみたところ、1974年の録音らしい。80年代という、わたしの推測は外れていたわけだ。BOXセットのボーナス・ディスクということである。

四月は君の嘘』最終巻まで読む。

なるほど、感動的なラストだった。このラストは最初から決まっていたのだろうけれど、かをりちゃんはなかなか魅力的なキャラクターになっていたので、残念なラストでもある。
 それから、クラヲタのイヤミな感想かも知れないが、このマンガでクラシック音楽が題材になっているのは、あんまり意味がないね。それを思うと、やっぱり『のだめカンタービレ』はよくできていた。のだめが曲をどう弾いたか、勝手に想像できるくらい、音楽が大切に扱われていた。それに比較すると、こちらは音楽があまり彷彿とされなくて、それも残念だった。確かに話は感動的だったから、余計にね。