勉強合宿最終日

祝日(こどもの日)。強い雨

ごろごろ。
甥っ子は自分で頑張っている。わからないところをわたしが見るという感じ。

妹夫婦、迎えに来る。皆でどら焼きでお茶。帰る。


わたしはといえば、先日古書で落掌したエリアーデ『生と再生』を読んでいた。イニシエーションについて考えたく、これはたぶんベストの本。いまはエリアーデってあまり読まれないと思うが、依然として大変に重要な宗教学者である。図書館で借りて著作集も(一応)通読したが、エリアーデという人は、たぶん気づいていたことのすべては書いていないという感じがする。西洋人に理解できる範囲で、書いたのではないか。なお、小説家としてもエリアーデはすばらしく、わたしは彼の幻想小説全集を積ん読にしているので、そのうち読まないとな。
 ついでにいうと、澁澤龍彦エリアーデもよく消化し、血肉にしていたなと感ずる(澁澤は折口などもよく読んでいたようだ)。頭のいい人はともすれば澁澤を侮るけれども、とてもとても、あの豊かさを超えられる人はいまでも(いまゆえ?)ほとんどいないのが事実なのだ。

我々はイニシエーションを失った。そうした中で、世界に被せられた幻想の膜を破り、リアルな世界に触れていく(それが大人になるということである)には、どうしたらよいか、という問題意識である。

現在は批評家ってのがいなくなって、書評家に取って代わられたという印象。文芸批評家というのは、福田和也が最後かな。その福田も、いまや批評家ではない。だから何なのだといわれると困るが。その方が好ましいと思う人もいるでしょうね。
 批評家っていうのは、作家を「殺せる」存在だと思う。そこが書評家とちがう。この本はこんなにすばらしい、っていうのが書評家ですね。ま、殺すに値するほどの作家がいるのか、って話でもあるが。

柴田南雄先生の CD 落掌。