こともなし

曇。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 ~ BWV864 - BWV869 で、チェンバロはルカ・グリエルミ(NMLCD)。■ドビュッシーの「二つのアラベスク」、「ベルガマスク組曲」で、ピアノは中井正子(NML)。

■尾高惇忠(1944-2021)のピアノ協奏曲で、ピアノは野田清隆、指揮は広上淳一、日本フィルハーモニー交響楽団NML)。

メンデルスゾーンの無言歌「ヴェネツィア舟歌」 op.30-6, op.62-5, op.19b-6、フォーレ舟歌第五番 op.66、第十番 op.104-2、第十一番 op.105 で、ピアノは小菅優NML)。コンセプチュアルなアルバム。小菅優という人はよく知らないが、瑞々しい音楽を奏でるピアニストだ。
Four Elements Vol.1: Water[日本語解説収録]

Four Elements Vol.1: Water[日本語解説収録]

  • アーティスト:小菅優
  • 発売日: 2019/01/30
  • メディア: CD
 
■バッハのブランデンブルク協奏曲第五番 BWV1050、第四番 BWV1049、第二番 BWV1047 で、ハイルブロンヴュルテンベルク室内管弦楽団NML)。 
畑のガーベラ。
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『東洋哲学の構造』から「6 儒教形而上学におけるリアリティの時間的次元と非時間的次元」「7 素朴実在論儒教哲学」「8 『易経』マンダラと儒教形而上学」を読む。とてもおもしろい。わたしは宋代の儒教というものをほとんど知らなかったが、いまの日本の通俗的東洋観は、仏教よりもむしろ宋代の儒教の通俗化という側面があるな。しかし、わたしは仏教ばかり勉強してきたので、「陰」「陽」というのはとんと見当がつかない。それから、もっと大事なのは、井筒先生のいう「意識のゼロ・ポイント」というやつ。これは先生の『意識と本質』の重要タームでもあるが、あんまり考えたことがなかった。これは、わたしの重大な欠落だろう。

ツイッターでは既にたくさん RT されているので知っている人が多いとは思うが。

大阪府は、23日の対策本部会議で、緊急事態宣言の発令にともなって、テーマパークに対して「無観客開催」を要請する方針を示しました。
これについて、USJは「実質的な休業要請」だとして、25日から要請が解除されるまでの間、臨時休業すると発表しました。
「無観客開催」の要請について、USJの関係者は取材に対し「意図をはかりかねている」と話しています。

https://www.fnn.jp/articles/-/174091

いや、見た瞬間に爆笑させられた(不謹慎でごめんなさい)。ほんと大阪府、何にも考えてないのだな。USJが「意味わからん」という筈である。

しかし、ざっとツイッターを見たが、ツイッター論壇もツイッター知識人も終わっているな。もちろん、菅政権を高く支持している我々日本国民も終わっている。政治家の民度は、国民の民度である。それ以上でも以下でもない。

酒を飲んでメシを食いながらテレビニュースを見つつ、わたしが「とりあえず女性議員を(定員の)半分にまで増やさないと」とか放言したら、「意外と女性は女性議員に投票しないんだよ」と老母が言った。なるほど、そうなのか、である。

わたしはクオータ制もありだと思っている。

録画しておいた、東大寺二月堂の修二会の映像(第二部)の、「走り」の部分を見る。
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西洋哲学では神秘主義という語はポジティブなコノーテーションを持たないことが多いが、西洋哲学の根底にはギリシャ以来、密かに神秘主義が埋め込んであることをつくづく感じるようになった。当たり前のことだが、認識(ここでは「=存在」といってもよい)そのものが「神秘的」だからである。しかしそれはそう簡単にはわからない構造になっており、それゆえ一見して神秘主義なしでいけるように錯覚されている。根底的な対称性が、それとわからないように破れているからだが、このような「対称性の破れ」は、じつは不自然なことなのだ。そのような不自然が、いままかり通っていることである。
 例えば「自我」と「外界」というような二元論も、対称性の破れの典型である。一旦そうなると、我々は言葉というバリアで、フィクションである自我を必死に守ることになる。