こともなし

日曜日。雨。

NML で音楽を聴く。■モーツァルト交響曲第三十九番 K.543 で、指揮はベンジャミン・ブリテン、イギリス室内管弦楽団NMLCD)。

「自由意志」という言い方そのものが、既に筋が悪いのではないかな。意志は進化を突き動かす、盲目的な力だ。自由とはむしろ対立する。意志ってのはふつう「よい」ものとされているが、そうなのかねえ。

妹一家来訪。上の甥っ子は大学生に、下の甥っ子は高校生になった。下の甥っ子は反抗期で母親に「ウザい」「うるせえ」とかいっているらしいが、なになに、いい子なもんだ。上の甥っ子はもう落ち着いて、大人になってきたなあという感じ。あいかわらず、楽しくて幸せな家族だ。家族っていいものだなあと思う。
昼食は珈琲工房ひぐち北一色店にて。「ひさしぶりに皆んなでお越しですね」といわれた。そうだなあ。
わたしが和菓子餅信へ行って、よくばり大福とお土産を買ってくる。ティータイム。
妹一家帰る。


妹一家を見ていると、幸せってことをつくづく考えさせられる。僕の高校のときの仲間はみな超一流大学に入り、一流企業の社員、国家官僚、海外での研究者、まあそんなコースを進んでいったが、妹一家ほど幸せな家庭を築けたのだろうか、とか。自分のことも思う。彼らの中ではわたしはドロップアウトしてしまったし、確かに苦痛の大きい生をこれまで歩んできたけれど、さて、そんなに不幸なそれだったかというと、さあね、どうだろう。ある意味ではだが、随分と恵まれていたのではないか?
 しかし、若い人たちと接するのはやはりいいものだな。いまの引きこもった生活体験も貴重で、充分に利用したいと思うが、若い人に会うというのでなくとも、そのうち外と接触しないといけないだろうな。ま、それもなりゆき次第だが。

ついでだから、引きこもるということについてもちょっと書いておこう。引きこもるなんて簡単だと思うでしょう? しかし、事実はその反対で、じつにむずかしいことなのである。引きこもると、「自分と向き合うことを、どうするか」という大問題がある。自分と向き合うのは、はっきりいって危険だ。たいていは、自分の無価値がつくづくわかってしまうから。だから、一般的にいうなら、引きこもるのは、やめられるならやめた方がよいし、引きこもっても自分に向き合うのはやめた方がよい。しかし、危険と向き合わざるを得なくなる人もいるわけで、そういう人に一般的なアドバイスはない。そういう人の幸運を心から祈っています。医者にかかった方がよくなった場合は、そうすべきです、いまはほんとにむずかしい時代なので。人間は簡単に「狂い」ます。
 しかし、引きこもる人はこれからどんどん増えていくだろうな。既に、コロナ禍でだいぶそうなっているところがある。

SAOアリシゼーション(仮に第3期とする)とアリシゼーションWoU(仮に第4期)を見ていたこのところの日記を読んでみたら、(わたしには)ちょっと異常な感受性の領域を使っていますね。後期おっさんには刺激が強すぎますな。若い人たちはこんなのをふつうに見ているのだろうから、恐ろしいというか。これじゃあモダンの領域がピンとこないのも当たり前だろうな。そういや今日、甥っ子たちはエヴァを見ていないといっていたが、つまりいまの10代にはエヴァはおっさんとかおばさんの見るアニメということだった。じゃあ、エヴァ以前の俺たちなんて何なんだよ笑。わたしはSAO第3期と第4期の全4クール、47話を一週間で見たのだが、まあちょっと荒行にも程があったな。addiction で、やりすぎ。
 ゲームも強く addictive である。甥っ子たちは時間があるとずっとスマホゲームをやっているのだが、彼らにはそれが当たり前のことなのだ。それだけに没頭しているわけではなく、しばしばさっと中断して、大人の会話に加わったり、またゲームに戻ったりで、もう完全に日常なのだな。でも、家ではゲームばかりのときもあるようで、仲間たちと朝まで徹夜でオンラインゲームをしてから学校へ行くとか、それではやはり勉強はできない。そういうのは、家庭にも依ると思うけれど。わたしはゲームはもう面倒でやれないのだが、ネットを見ていても、いまは親の方もゲームをやるのが当たり前の時代になっている。親子でゲームでコミュニケーション。そういう時代が来るだろうとは確信していたけれど、実際になってみると、不思議なものだ。