アニメと幻想、集合的無意識、主体 / 最果タヒ『夜景座生まれ』

祝日(春分の日)。曇。

スーパー。
今年初めてツバメを見る。


アニメ(に限らないが、他はここでは措く)とは幻想(妄想といってもいい)に幻想を重ねていく媒体であり、物語を使って欲動の流路を作る(それはひとつの快楽だ)。それらの幻想は生死や性、暴力、自然、日常、対人関係、社会制度、資本主義などの欲動の大きな供給源に支えられて、我々の生をぶ厚く覆っている。我々のとりあえずすべきはそれらの偶然的な幻想たちをいったん解体し、集合的無意識(それは広く適用されるある種の観念に他ならない)に還元してやることだろう。例えばツンデレは日本のアニメが発見したバカバカしい観念であるが、アニメのMADムービーの英語コメントを読むと外国人にも正確に伝わっているのが可笑しい、これはひとつの集合的無意識といってもいいだろう。
 幻想に幻想を重ねていく過程は複雑であり、その想像界における運動過程はまだ正確に分析されたことがない。想像界における幻想の現象学とでもいうべきの必要性を感じる。

我々の生をぶ厚く覆っている幻想は欲動の流路を複雑奇怪、多数多様に散乱させている。これが主体(これ自体が幻想で構成されている)のコントロールを超えると、いわゆる精神の「病的な」常態が顕現する。鬱はその典型であり、その意味で鬱は現代的な「病」であるといえるかも知れない。反対に、統合失調症的過程は、幻想(主体)の解体に関係しているように思える。

図書館から借りてきた、最果タヒ『夜景座生まれ』読了。

夜景座生まれ

夜景座生まれ

  • 作者:最果 タヒ
  • 発売日: 2020/11/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
原武史昭和天皇』を読み始める。

夜。雨。
ソードアート・オンライン アリシゼーション』第6話まで見る。