家族で多治見市モザイクタイルミュージアムへ

晴。

春になったし、コロナ禍もまあ落ち着いてきた感じもあるので、家族で出かけてきた。老母の体の具合を確かめるのもあって、同じ岐阜県の「多治見市モザイクタイルミュージアム」へ行くことにした。ここは建物の設計が藤森照信さんで、それが期待である。藤森さんの建築は、2019年に諏訪の守矢資料館を訪れたことがある。

行きは高速を使わず下から、一時間半くらいで到着。いい天気。

こんなである。藤森照信、やはりおもしろい。表面は土か。

無意味なジブリ風(?)の煙突。


入り口。

壁面には割ったタイルや茶碗が埋め込んである。

中はおしゃれ。

昔はウチもこういうタイル製の流しを使っていた。実際に使用されたものを展示してある。昭和はついに展示されるものになったのだ。

四階天井には穴が開いている。雨の日は雨水が降り込む構造で、これもおもしろい。

藤森さんの土くさい建築とタイルがマッチして、何ともおしゃれだった。こんな田舎でしかも平日なのに、若い人たちがたくさん来ていて驚いた。体験コーナーみたいなのも結構な人数が参加していました。

ちょうどお昼の時間だったので、タイルミュージアムから遠くないそば処桔梗で蕎麦をいただく。看板も何も出ていないので、最初場所がわからなくってウロウロした。値段も手頃でおいしい蕎麦でした。ああ、蕎麦ひさしぶりだな。

帰りは東海環状自動車道で。途中にある「ぎふ清流里山公園」に寄る。ハイウェイオアシス(美濃加茂SA)から入ることができる。

ど田舎に「作り物の田舎」を作るというよくわからないコンセプトで、もともとは「日本昭和村」といった。その割に、全然フォトジェニックではなく、こりゃダメだなという感じ。わたしは作り物の公園とかもきらいじゃないのだが。併設施設で花や八百津のおかず味噌を購入する。まあ、ハイウェイオアシスとしてぶらぶらするには悪くないかも知れない。

岐阜各務原ICから降りて図書館へ。14時半くらいに帰宅。5時間遊んだということかな。走行距離は100kmあまりというところ。楽しうございました。


そうそう、地元の新境川堤の桜は既にちらほら咲いていて、今年はじつに早い。まさに温暖化という感じ。

観光というのはこれから(思想的に?)可能性があるように思えるな。でもそれは東さんの平成の「観光客の哲学」ではなくて、昭和の頃の細野さんと中沢さんの『観光』の意味なのだが。いや、さらに、都会人が田舎へ行くだけでなく、田舎者が田舎へ行くという「観光」。

 

せめて自分くらいは読んでやらないとブログがかわいそうなので定期的に自分のブログ日記をまとめて読み返すのだが、先ほどこの一箇月分ほどを読んでみてちょっと驚いた。極少数にせよ、よくこんなものを読んでくれた人がいるな、と。遠心力でバラバラに吹っ飛びそうなのを保つ苦痛が、結構あらわに出ているではないか。こんなのを読み続けてくれた人に感謝いたします。文章というのは恐ろしいな。

太郎の「対極主義」みたいなもので、わたしはいまの自分からひどく遠いものを自分にぶつけたくなるということを昔からやってきて、それはもう自分に骨絡みになっていて人並みの人生が送れなかったのもまあそれなのだが、これは業ですね。そして、それに自己肯定感の喪失が合わさってつらかった。しかし、自己肯定感で膨れ上がっているいまのある種の人たち、そしてそういう人の後をこそ付いていきたがる目の見えない大勢の人たちもまたわたしには堪えられない。まだまだ修行が足りないとつくづく思うわたしなのです。