アンリ・ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』

雨。
かなりひどい悪夢を見て昧爽目覚める。たぶん昔の傷。また寝る。

午前中、ごろごろぼーっ。何もしない。睡眠の後始末に時間がかかりすぎる。

昨日のエントリーを読んでいて思った。アイデンティティ・ポリティクスはマイノリティへの差別を解消しようとする。しかし一方で、アイデンティティに拘るがゆえに、差別を温存するベクトルも持つ。その意味で、アイデンティティ・ポリティクスという概念は本質的に矛盾している。
 わたしにアイデンティティはあるか。さて、どうか、ないというか、敢て選び取るというようなものでしかないと思う。では、敢て反アイデンティティ・ポリティクスというアイデンティティを選び取ったらどうなるか。そのようなアイデンティティアイデンティティ・ポリティクスは尊重することができるか。おそらくできまい。概念がダブル・バインドに晒されるからである。アイデンティティ・ポリティクスなる概念はこのような自己言及的な使用に堪えない。
 しかし、アイデンティティか。眠い話だな。わたしという平和ボケの人。

雨あがる。コーヒーを飲んで金柑を食う。鳥たちが食べ残したミカンも食う。うまい。

日没前、散歩。



ムクドリ

ジョウビタキ




世界が美しい。鳥の求愛のさえずりで満たされている。「囀り」は春の季語ということだが、俳句の繊細で的確な言葉にはよく驚かされる。

夜。
アンリ・ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』読了。副題である「マホメットシャルルマーニュ」が原題である。古い本だが、碩学によるおもしろいものだった。古代末期から中世にかけてのヨーロッパ世界を描いている。ゲルマン人によるローマ帝国への侵入はローマ世界を変えるものではなく、逆にゲルマン人の「ローマ世界化」であったこと。つまりは、地中海は依然としてローマ世界の内海であったのであり、活発な商業活動が行われていた。しかし、イスラム世界の勃興と共にローマ世界は失われ、ビザンツ帝国を除けば地中海はイスラムの海となった。ゆえにヨーロッパ世界の地中海沿岸地域は寂れ、重心は北へ移動する。それを象徴するのがフランク王国であり、メロヴィング朝はローマ世界であって言葉も卑俗化はしたがラテン語がふつうに使われていたのに対し、カロリング朝は地中海から切り離され、商業も停滞し、言語もラテン語が変質して教会以外において読み書き能力が失われたのである。封建制度が誕生したのは商業の停滞によるものであり、自給自足化が進んだのだ。これが、中世の誕生とされる。わたしはヨーロッパ中世の始まりは西ローマ帝国の滅亡と共にであると思っていたが、本書の記述はとても説得力があった。本書には、経済的な考察がたくさんあるのが印象的だった。視線のスケールの大きさ(地中海世界全体を対象としている)と、細部への目配りの確かさが、著者の稀な力量を示しているのを感じた。