曇時々晴。
午前中は何か知らないうちに終った。
昼から、珈琲工房ひぐち北一色店。『ブルシット・ジョブ』の続きを読む。何やら読んでいくうちに、複雑な気持ちになる。ブルシット・ジョブとは主観的なものだという。同じ仕事でも、ある人はブルシットと思うし、そうでない人もいる、と。ブルシット・ジョブは無意味な仕事、あるいは何もしないことで(少なからぬ)お金が得られるというものであるが、しかし、そもそも、何もしない、ただ一日中ぼーっとしているとか、あるいはさらに本来与えられた仕事とは何の関係もない(往々にしてプライベートな)作業を勝手にやって、それでお金をもらえるなら、それは天国ではないか、というのが「世の常識」ではないのか。(たくさんのお金をもらっても)無意味な仕事は「心を蝕む」とは、贅沢というものではないか、とも反論したい人は少なくあるまい。というか、無意味さに耐えるのが「資本主義」というものだとすら展開されるかも。そうなってくると、仕事とは、やりがいとは、人生とは何かという主語の大きな、一般的すぎる疑問まで湧いてきてしまうのだ。
個人的なことを考える。わたしのかつての仕事はどうだったのか、ブルシット・ジョブだったのかという問いがある。さあ、何ともわからないというのが正直なところだ。仕事が楽しいときもあった。「修行」としか思えないときもあった(特に辞める前はそれに近かった)。わたしは能力的にはその仕事に向いていたといえるかも知れないが、性格的にはどうかというと、あまり向いていなかった気がする。いまもう一度同じ仕事がしたいかというと、やらねばならぬなら仕方がないが、是非やりたいということもない、という感じがする。
- 作者:デヴィッド・グレーバー
- 発売日: 2020/07/30
- メディア: 単行本
ふつうの意味で、やるべき生涯とは、子供を作って育てるそれということであろう。それ以外に、人間にやるべき仕事なんて、ほとんどないような気もするのだが。そしてわたしには妻も子供もいない。
肉屋。
xの1/x乗の微分 - オベリスク備忘録
昨日の昼からこの過去の(理系)記事にアクセスがあって仕方がない。普段でもこのブログのアクセスの6割以上(というのはテキトーだが)は過去の理系記事なのだが、正直言って(何故か)うんざりしないでもない。何故でしょう。
あらー、県図書館の返却期限が今日だった。明日はいかないと。
高橋留美子『犬夜叉』第3巻まで読む。すごくおもしろい。やっぱり80年代人の後期おっさんだな、僕は。『めぞん一刻』とか本当に好きだった。高橋留美子さん、長く活躍しておられますね。実際、この人がオタク文化とかの、ひとつの「始まり」だった。
- 作者:高橋 留美子
- 発売日: 1997/04/18
- メディア: コミック
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あるソフトウェア工学者の失敗 - 日本のITは何故弱いか
読んでいてとても悲しく、泣きたいような気持ちだった。しかし、よく考えると納得ばかりではない。ソフトウェア開発にアジャイル的な手法が適しているのは確かかも知れないが、いかにアジャイルがコードの「失敗を前提にする」手法だからといって、それがアメリカ人の精神に合っていて日本では文化的に不可能だというものであろうか。たかが、開発手法ではないかという気がする。むしろ、先日リンクした記事の(すばらしい)コメントにあった、「ソフトウェアの時代ではちょっとしたことが凄くスケールする」というのがヒントになろう。たぶん、この言い方ではほとんどの人が何をいっているかわからないかも知れないが、現代のビジネスにおいては、世界的に成功するには、ビジネスの爆発的な「発展期」に、適切な投資をしかも迅速にやっていかねばならないというだけのことである。これはソフトウェア産業以外でも同じことだ。従来日本企業がそれで成功してきた、よいものを安く作って少しづつシェアを拡大していくという手法は、世界中がリンクしてしまった現在では時代遅れになってしまっていて、また、日本は「適切な投資をしかも迅速に」ということが社会システム的に不可能になっているということである。
と、どうでもいい寝言を書いてしまった。こんなことは、わたしのように知識も社会経験もない者が考えても休むに似た行為である。ただ、わたしはよくも悪くも、日本が絶頂だった80年代の子なのだなと思う。日本の産業がダメになっていくのをこれまでずっと見てきて、どうしても悲しい思いになってしまうのは避けられない。
けれども、日本に爆発的にスケールした世界的大企業が仮に新たに誕生するとして、それが日本人の幸せに繋がるのかはわからない。果たして GAFA がアメリカ人を幸せにしたのだろうか。わたしは何も知らない。