男女関係とリスク

元日。雪。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨晩はエピクテトスを読んで寝た。
落ちこぼれ高校で、落ちこぼれ高校生である夢を見る。私服っていうのが新鮮だった。なぜか山の中で(一般人も参加する)マラソンをやって、友だちが皆んな励ましてくれて頑張る。正月早々よい夢だなあ(笑)。

二階の自室から。

午前中、ずっとぼーっとしていた。
神棚と仏壇にお参りしてから昼食。昼食は神棚から下ろしてきたお酒を口にし、この地方の超シンプル雑煮。

雪の元日だな。

NML で音楽を聴く。■マーラー交響曲第四番で、ソプラノはクリスティーネ・シェーファー、指揮はベルナルト・ハイティンクロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NML)。じつに美しいマーラー前にも書いたが、ハイティンクには「才能」がなく、余計な「個性」による誇張がまったくない。まさに凡庸なまでにふつうの演奏であり、この曲を表現し切っている。巨匠ハイティンク。それにしても、これは2006年のライブ録音であり、ハイティンクは70代後半であるが、ゆるみとかたるみとかがまったくなく、極度の緊張感もなく、ただただ充実している。その射程も(当り前だが)わたしなど遠く及ばない。すばらしい名演というべきだろう。さて、この録音は音楽ファンに高く評価されているのか、それとも誰も聴かないのか、わたしはまったく知らないが、どちらであっても驚かないところである。

シューベルト交響曲第一番 D82 で、指揮はフランス・ブリュッヘン18世紀オーケストラNML)。この曲はよく知らないのだが、ブリュッヘンの古典的な棒で聴くとなかなかの佳曲だ。ハイドンのピアノ・ソナタ第六十二番 Hob.XVI:52 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNMLMP3 DL)。音の美しさにハッとさせられる。


アメリカン・エキスプレスや三井住友カード用のフィッシングサイトへ誘導する迷惑メールがどんどん来る。これらのカードはもっていないのだが、そんなのお構いなしだ。以前、偶然もあって自分もフィッシングサイトにクレジットカード情報を渡してしまったくらいだから、こういうのはほんとタチが悪い。でも、相手のメールアドレスが如何にも不自然なことが大半だし、パスワードやクレカ情報を渡す前にメール文面で検索すべき。


濱口先生のブログを読んでいたら、「でも一方的な恋愛感情の押し付けも立派なハラスメントではあるんですよね」という文章があって目が引き付けられた。一方的な恋愛感情の押し付け、か。会社の同僚に(特に女性が)「あなたに恋愛感情はない」といって、それでも(特に男性が)粘ったりしたら、それはハラスメントということになるのが現代というわけだ。たぶん粘られた方の(特に)女性は、ただただキモいだけなのだろうな。確かにその気持ちはわからないでもない。それにしても、わたしが恐ろしくて絶対に会社というか、いまの社会では働けないことがよくわかる話である。
 つまるところ、自分が恋愛感情をもっていない人に恋愛感情をもたれること自体、キモい→ハラスメントという時代なのかな。知らないけれど。

それとは関係ないけれど、いまはおっさんというだけでキモい、邪魔、存在自体が悪、氏ねという雰囲気だよね、とおっさんは思う。

男と女の関係は人生を破壊しかねないほどのリスク、それも本質的に人間に与えられた、また与えられるべきリスクだとわたしは思っていたのだが、そういう考えは時代遅れで有害であるというのがいまなのだな。わかった感じ。


okatake さんのブログにこうあった。

「薄ら寒い思いをさせる」記憶が、その流れる時間をいっとき妨げても、また時間は確実に流れる。「つまりは記憶は形骸だけである」と。その「記憶」で現在今ある自分がさいなまれることは、結局はおろかな生き方であろう。

さすが okatake さん、そのとおり。わたし流にいうなら、過去も未来もなく、ただ現在しかない。ベルクソンのいう「持続」である。鈴木大拙は、現在の過去、現在の現在、現在の未来といったが、この方が正確であるかも知れない。


盤珪禅師語録』を読む。